百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

過疎地の地域活性化は最優先ではない。

地域活性化がいつから出始めたのかは分かりません。ググってみると「地域活性化」はwikipediaにはなく「活性化」というのはあります。

使われていなかったものに刺激を与え、使われるようにする様子を表す語である。もともとは化学生物学医学で用いられる語であるが、経済社会科学の分野でも多用される。」

 過疎地で使われていなかったものとは何でしょうか?

 高度経済成長期は東京に人と金を集中させ、ひたすら経済的に豊かになることを目的としてきました。その結果世界第2位の経済大国になり歴史的・世界的にも非常に豊かな社会となりました。我々が、食料に困らず健康で豊かな生活を享受できるのは高度成長期のおかげです。それは誰も否定できません。2013年の現在では、豊かさの再定義が始まっています。東日本大震災の影響もありますが、社会が成熟したことが最大の要因と言えるでしょう。成熟社会では、豊かさは経済的だけではなく、自己実現や文化的要素が含まれてます。家族との時間を犠牲にしてお金だけ稼いでいればハッピーで承認が得られることはないです。

過疎地の資源は、お金以外の何かです。何かとは、農地、果樹園、棚田、森林、里山、水、街並み、食、温泉、都会的なストレスがないこととかですね。今まで「ダサい」とされてきた田舎の使われなかったものは「田舎にあって都会にないもの」といえます。そして、気づいた人たちが田舎の使われていなかったものを利用して全国各地で地域活性化の波は動いています。

 

でもね、地域活性化を目的とした活動には限界を感じるのです。「私」や「あなた」より「地域」が優先されると「ムラ社会」と変わらないと思うわけ。ムラでは、よそ者を受け入れず同じメンバーが決めていく。そこに社会性はないです。社会は多様で異なる意見の人たちが同じ場所で生きていて、長老はおらずムラのメンバーにしか理解できない文脈はないから。長年地域に住む人が何とかしたい!と思って行動するのことを否定するわけではないが、「私」や「あなた」が主人公となるべきではないだろうか。私がやりたいと思うことをやって、あなたもやりたいことをやればよくて、地域は二の次三の次。おのおのが自由にやりたいことをやれば、協力する場がでてくる。過疎地だと、協力しないと自分が困る場面が発生するから。その結果として、地域で使われていなかったものが使われていくようになればいいのだと思う。

「土地」に根差した地域活性化は続かないですよ。