百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

祖父の介護をやって考えたこと

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私の祖父は、ここ数年徐々に老化で衰えていき、最近になって、寝たきり状態になっています。寝たきりになる前は自宅での介護をしていたのですが、寝たきりになってからは、自宅での介護をあきらめ施設に入居しています。

祖母は毎日祖父のところへ行って、祖父に話しかけているが、声に出して返事をすることはありません。認知症ではないので話は理解しているけど、かすかな声しか出せないのです。私は、日中帯に時間が取れるため、祖母の手伝いを兼ねて祖父のいる施設にいくことがあります。元気だったときの祖父の姿とはまったく違うので、少なからずショックを受けています。

施設に入居している高齢者の家族で毎日あしげなく通う人はまれです。一度も施設に行かない人や連絡しても来ない家族もいるくらいですから。

近親者が介護を必要とするようになったときに、世話をする人と世話をしない人との差は何でしょうか?

私は、「愛情」ではないかと思うのです。小さいときの記憶は断片的ですが、間違いなく祖父は私にたっぷりの愛情を注いでくれました。大人になってからはあまり会うことはありませんでしたが、会ったときは優しい言葉と笑顔で私を迎えてくれていました。だから、祖父が寝たきりになったからといって、「もう知らない」となることはありません。むしろ、「何かしてあげたい」という気持ちになります。人間は、愛情を注いでくれた人のことは忘れませんし、損得を越えた部分で付き合うことができるのです。

大人になると損得勘定をするようになりますが、自分が大事だと思う人に対しては、地位、見栄、金といった社会的な要素は無視して、真正面から付き合うべきでしょう。社会保障は今後どうなるか不透明ですので、金だけでリスクを軽減しようとするのはあまりにリスクが高いです。社会保障に頼るよりも「信頼できる人」を持ったほうが安心できます。信頼関係があればお互い何があっても必ず助け合い、逆境を乗り越えることが一人よりも容易になります。

信頼できる人は別に地縁、血縁じゃなく誰でもいいのです。時が来れば一人は信頼できそうな人が表れます。

 

祖父は「信頼」という大事なことを教えてくれています。