百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

祖父の死

スポンサーリンク

祖父が亡くなりました。86歳ですから大往生でしょう。私は、身近な人の死をはじめて経験したので、死後の処置、葬送の準備、通夜、葬式、火葬の大変さに驚きました。葬儀には、親戚や親族など普段会わない人たちと話すことができ、うれしかった反面、疲れましたね。

死後の顔をみて「本当に亡くなったんかな」でした。イマイチ実感が湧かないしただ横になって寝ているだけのように感じました。1日経ってから体が冷たくなり死後硬直が進んだので死を感じることができたけど、本当に実感できたのは火葬された後、骨だけになった祖父をみたときです。さっきまで目を閉じて静かに仰向けで棺に入っていたのに、そこには顔も手も足もない、骨だけ。悲しくなり空しくなりました。

誰しも死を経験するのは分かっているけど、目の前で死を経験すると怖さを覚えます。「死後はどこにいくのか?」「自意識はどこにいくのか?」「死ぬときは怖いのか?」といった宗教的・哲学的なことです。小さい時に、死について考えると怖くなり夜眠れなくなったあの感覚が祖父の死によって再び思い起こされたのです。自分が死ぬとき満足して死ぬとかあるのでしょうか?そのときになってみないと分からないけど、モヤモヤした感じになります。

祖父との思い出はあまり思い出せませんでした。私が昔の思い出に浸るようなタイプではないことが影響しているのでしょう。しかし、愛情をもって接してもらったことはどこか脳の奥底にインプットされているのは分かります。祖父の死は本当に悲しいですから。

子供のときに優しくしたことを大人になって覚えてなくても、必ず無意識の領域で記憶されています。それが「信頼」のなかに含まれます。信頼を得る方法なんてわからないし、邪な気持ちでは相手に伝わってしまうだろうけど「率直に愛情をもって接すること」しかないような気がします。言語化できないものが最終的には信頼に繋がるのかもしれません。

 

祖父は現生にはもういません。会話をすることができません。生きている人が想像するしかありません。そのことを思うとひどく悲しくなります。