百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

移住者とUターンの集まりに行ってみた

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竹細工、陶芸、織物、和菓子、書道、よく分からない人と個人で人生を切り開こうとしている人たちが集まる場所に行った。職業とか別として、多様な人が集まる場所はそこにいるだけで気分が良いし、楽しい。私は、均一化された場所より多様なバックグランドがある場所のほうが好きだと改めて思いました。

普段は高齢者しか見ないので、同世代や少し上の世代の人と会うことは刺激的で話が合うことが多かったです。こういう集まりは、組織化されて外部性がないか緩くて開かれているかどちらかになるけど、今回の集まりは緩くて閉ざされていなかった。

緩い場所をつくるのは組織化された場所をつくるより難しい。組織になると個人より組織の論理がかなり優先されて、個人が普段みせないような態度をとる傾向が日本人は強い。だから、主催する人がきっちりルールをつくるのではなく、ゆるーい雰囲気をつくる必要がある。シェアハウスでも、何も考えず運営すると緩い場所をつくるのは難しいと思う。

緩い場所のメリットは、個人が尊重されること。話したい人は話せばいいし、話したくない人は話さなくていい、人を陥れることさえしなければ場で何をしてもいい。絆や希望といった曖昧で無駄な一体感を醸成する組織とはまったく異なります。

 

移住者やUターンの人と話して、相互に話したいことだけを話して、聞かれたくないことは聞かないコミュニケーションは居心地が良かったです。所属、出身、年齢を前提にしたコミュニケーションはムラ社会でしか通用せず、未知の他者とのコミュニケーションでは成立しない。話題が合わない場面もあったけど、それはどこでもあることなので気にする必要はなかったですね。

 

地方は確実に衰退しているが、緩い場所があちこちでできれば、何とか生きていけるのかなと思う。その萌芽はあらゆる地域ででてきているので楽しみです。