百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

小さくてゆるい居場所をあちこちでつくろう

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昨日の家入一真さんの都知事選出馬会見で、「居場所」について言及されていたことに感銘を受けました。

先ほどの、居場所を作っているという話ですが、僕は中2の頃にいじめにあい、引きこもりになってしまった。18歳まで家の中で過ごしていて、ずっとインターネットをしていた。いわゆる今で言う、うつ状態、引きこもりだったのですが、今も当時の僕と同じように家から出られない、家から出ても行き場所がない子たちがいっぱいいる。そういった子が自殺をしてしまっている。僕は「なんで日本はこんなに自殺が多いのだろう?」と思うのですが、そういう質問に誰もなかなか答えることができないと思っています。

学校に行かなくなった子のフリースクールは、存在として知られていないし、結局それで自殺してしまったり、そういった子たちが多い。その中で、行政に頼らない形で自分たちで居場所を作っていくことで、お互い助け合っていく共同体を作っていこう。そういうことをしていた。それをたとえばネットを使って、もっとやれることがあるんじゃないかとか。小さな問いを自主的に国や行政に期待するんじゃなくて「俺らでやっていこうぜ」と作ってきた。

 家入さんがおっしゃる通り、「なぜ日本で自殺が多いのか」に答えられる大人はそうはいない。いじめも同じ。私はいじめられたことはないが、いじめの現場に遭遇したことはあるし、もしかしたら自分が気づかないだけで、誰かをいじめていたかもしれない。いじめは大人社会をそのまま反映しているだけだと思う。一言であらわすと「寛容な心がない」ということ。ちょっとしたことで人を叩き、まるで極悪人かのように陥れ、社会から抹殺する。誰も得をしないし、委縮させるだけだ。

でも、大人に寛容な心がなく、国に頼れない、批判して終わっても、自殺を考えている人やいじめられている当事者たちは何も解決しない。学校で居場所をなくし、家庭で居場所をなくし、友達との居場所をなくし、社会からの居場所もなくしたら、もう絶望しかない。自分がこの世のにいても誰も私とかかわってくれないんだから。

大きなものに期待できないんだから、俺たちでやろうとなるのは自然な流れかもしれないけど、家入さんみたいな、引きこもり、いじめを経験した当事者がいろんな人を巻き込んでみんなに見えるかたちで居場所をつくっているのは、我々にほんの少し生きる力を与えてくれている。私もその一人です。

居場所をつくる動きはあちこちで起きていて、私も居場所をつくりたいと考えている一人。友達じゃない、家族でない、利害関係もない、ただ場を共有しているだけといった居場所が各地にあれば、生きやすくなると思う。こういう緩い関係は、新しい家族のかたちになる可能性を秘めている。

例えば、引きこもりの就労支援は引きこもり当事者ではない人がやっているケースがほとんどだ。私は就労支援そのものに否定的な立場だけど、もし当事者が当事者を支援するようなことになれば、引きこもりになった気持ちの根っこの部分を共有できる。だから、違った視点からかかわることができる。

家入さんが都知事になるのは難しいだろうけど、選挙を通して、「こんな新しい動きがある」ことを知らない多数人たちに示していけるのはものすごく価値があると思う。

私は、引きこもり、ニートなど弱い立場の気持ちが分かる人がこれから大きく世の中を変えていくと心から信じているので、家入さんを応援します。(都民じゃありませんが。。。苦笑)