百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

成長の意味

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ニュースでも日常でも成長するという言葉が使われている。私は人として成長したいと思っているが、経済成長、仕事を通じての成長はどうでもいいし、無意味だと思っている。では、人としての成長はどういう状態になったら成長したといえるのだろうか。

それは思考の深まりであり、個人が纏う雰囲気であり、行動の変化であるので一言では語りつくせない。人間としての成長は、経済成長と違い数値化できるものではない。自分自身で気づくことはおそらくできない。他者から言われて気づくものだと思う。ただ、10年前の自分と今の自分を比較したときに、成長したなと気づくことはある。時間が経過すれば人は変わる。変わらない人はいない。良い成長か悪い成長かは、そのときの肉体・精神状態で分かる。自分のことを棚に上げ他者への攻撃ばかりしていたら自分を疑い、自分を第一に考え、自分の器の限界を少しでも分かっていたら、少しはまともな成長ができていると考えていいのだと思う。

しかし、自分が成長したことを考えることはたいしたことではない。日々考え、自分のことを知り、知恵を深めることを実践すればいい。私自身のことでいえば、ようやく人生のスタートラインを切ったところで、自分で成長することを始めた段階だ。全然自分のことを知らないし、毎日あーでもないこーでもないと模索している。

だから他者に対してアドバイスすることはできない。自分はこう考えているとしか言えない。答えを求められても分からないし、答えがあるのかどうかも分からない。分かっていると思っていたことすら疑うときがある。

便利屋と野菜つくりは少しずつ少しずつ前進している。私が何をしているのかを広告しようかと思ったけど、やるべきことをやっていれば自然と広がっていくと思うのでしない。経済的利益を追求することが目的ではないし、少しずつ広がっていくほうが大事だと思っている。世の流れと逆行しているけど、自分で考えて決めたことなのでいい。自分で考えていれば考えは変えることができるし、柔軟に対応できるからだ。

日々考え、実践していれば、人間として成長するだろう。人間は考えてはじめて成長する。