百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

人との縁

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そこらへんにいる不特定多数の誰かで、特別な技術はないし、特別な経験があるわけではない自分。そんな私が野菜をつくり、ときどき便利屋の依頼がきて、少しだけネットからお金をえて生活できるのは自分の力ではなく、人から助けてもらっているおかげ。

縁が全てをつなぎ、私を生きさせてくれている。不思議なもので、強い縁(家族とか友人)、弱い縁(知人とか)のどちらも助けてくれる。相互依存でありながら自立した関係といえると思う。

20代後半になって、人間として成長したい気持ちが強くなっている。知らない場所に行き、知らない人と交わり、言葉を学び、文化を学び、習慣を学び、生きることがとても大事だ。何も分からないから必死に考えるし学ぶ。そのプロセスで限界を知り、何ができて何ができないのかを知ることになる。私は、いまはそんな場所にはいない。だから違うやり方を模索している。

実践しているのは、とにかく頭を使うこと。日本にいると何も考えなくても自動で日常生活が過ごせるからとても楽なんだか、自分で考える力が伸びない。自分で意識する必要がある。一つひとつの行動に意味づけはめんどくさいからしないけど、今日は何をするのかといったことを考えている。自分は予定表をもったことがないし、予定をつくらないから、毎日考えることが当たり前になっている。

ナスを栽培しているんだけど、ナスは相対的に多くの栄養と水が必要と聞いた。だから肥料を与え、ポットから畑に移したあとは、わらをしきつめなさいと野菜を長年つくるお年寄りから言われた。本をみてもだいたい同じことを書いている。じゃあその通りにするかといえばしない。半分は教わったとおりにして、半分は他のやりかたでやる。失敗するかもしれないが、人に言われた通りだけするのはおもしろくない。自分で考えて、やってみることそのものに意義があると思う。

田舎で暮らしているけど深くコミットしたくはない。距離は置いておきたい。そのなかで発生する縁は、個人を大切にし、自由な生き方をお互い大事にする。土地に重きを置くのではなく、人に重きを置く。合わない人と会ったときは無理して付き合わないでお互い放っておけばいい。俺は俺の人生、おまえはおまえの人生を歩めば十分だ。