百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

常になんとなくダルさがある

うつ病とは違うけど、どんなときでもダルさがある。楽しい時もなんとなくダルくて、漠然とした何かがある。ダルさがひどい時はなにもするやる気がでない。一日寝ればダルさは消えるけど、慢性的なダルさは消えない。ダルさが消えるときは海外に行ったときで、非日常なのと自分に合っているからだろうと思う。

ダルいは、不安とは違うし、焦りとも違う。「言い知れぬ何か」としか言えない。原因は何なのか定かではない。推測になるけど、何も考えなくても自動的に生きられる環境に一つの要因があると思う。日常生活、(仕事以外)で考えなくても、食料は買えるし、おいしいものは食べれるし、一人で夜歩きしても襲われる心配はないのは、世界広しといえども日本だけ。外国人に、「日本の最も良いところはどこだと思うか?」と質問されたら、「日常生活の質の高さ」だと即答する。消費者の立場だとクオリティーの高さは突出している。

そのことと自分のダルさの原因がどう結びつくのか?

日常生活で考えないといけない環境ならば、自分や家族、友人の身の安全を真剣に考え行動する、というか自然に考える。毎度考えるのはめんどくさいけど、経験上そのことにより満足感を得られダルさが消えていたのだと思う。考えない環境に置かれると、何も考えないから(本当に何も考えない)慢性的なダルさがある気がする。推測なので間違っているかもしれないが、あながち当たっていると思う。

☆☆☆

精神疾患が増加しているのは、日常生活の質が高すぎることが原因でなかろうか。朝起きて、仕事をして、飯を食って寝るといったルーティーンに「生きている」実感を得られないからとも言える。もし一連のルーティンの中に「考える」ことがあれば精神を病むことはない。

集団的自衛権行使容認が閣議決定されて、アメリカとの戦争に巻き込まれるや徴兵制が復活するといったことが言われている。いままで現実感がなかった戦争という物語が現実として我々の前にあらわれたときに、僕のようななんとなくダルいと感じる人は減るだろう。

生きることが困難な社会となり、現実を生き抜くことそのものが喜びとなるような社会になればいいけど、マジョリティーは望まないだろう。今のほうが楽だから。

文がまとまってないけど、今日は久々に何もしたくないダルさがきたのでご勘弁を。