百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

自分の器を知ったら楽

今年、30歳になりいよいよ余生に突入した。これからの人生はおまけなのでますます好き勝手に生きていこうと思っている。

農業を基盤に生活した1年だったので、一般の人ととは違う世界がみえているのではと思う。人と接するわけでなく畑に篭もり黙々と野菜を作り一日が終わると社会と結びつく要素はない。ネットの情報で社会と繋がる感覚はあるけど、人と関わることで社会との繋がりがあるわけだから、社会性はみにつかない。もともと社会性がなかったので社会性のへったくれもないけど。それでも、定期的に特定の人たちとは付き合っていたおかげでなんとか今の状況を保つことができている。

自分の器はこれくらいなんだなとはっきりとわかった一年でもあった。昔思い描いていたカッコいい大人にはなれてないけど、今の場所が自分には合っている。世の中には自分より数段優れた人で満ちていて、とてもじゃないが努力しても追いつける場所ではない。人生は可能性に満ちていても、竹のように上に上に生き続けるのは無理だ。自分の身の丈にあった場所で楽しく生きるほうが楽しい。

第一次産業、漁業、林業、農業は年寄りで産業が成立している。新規に若い人がしても大したことはない。親は子供に1次産業に従事してほしくないし、社会も口だけはいいことを言っても、アナウンスメントする本人はしない。自分もいつまで農業をするかはわからない。またニートに戻る可能性も十分にある。別にそれでもいい。自分のように学もなく技術もない人間は死ぬまで体を使って生きていく必要がある。ロボットが相手になっても俺は負けねー!頭のいい連中は東京で腐ったシステムを作り続ける、田舎で俺は自由に楽しく生きる。

うつ病などの精神疾患が増え続けるのはたいした頭がないのにお勉強をさせられて頭でっかちになり、体を使って生きることを否定されているからではないだろうか。東京には1000万人を超える人が住んでいても、リッチで快適な生活をできている人は少ないのではないかな。ほとんどの人は東京で競争する意味はないのでは。田舎は超高齢化社会と同じようにゆるやかに確実に衰退していて、地方創生をしようが空き家は増え続けるし人は減り続けるし、農地は放棄地だらけになる。だから田舎に来たらやりたい放題になる。すでにやりたい放題やっている人はいる。

今年は体はつかれたけど心は疲れず爽快だった。来年もし心身共に疲れたらゆっくり引きこもって休むつもりだ。疲れたら休み、元気なときに動く。それが自分の器でこれくらいで十分だ。