百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

勉強ができることとお金を稼ぐことは同じではないです

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「田舎の優秀な子どもは東京の頭のいい大学に行き、大手企業、官僚などに就職します。そして二度と田舎には帰ってこない。」みんなが知っている典型的なパターンです。確かに事実ではあるけど、世の中は紋切り型で終わらないところがおもしろい。

優秀な若者は都会にでるから、田舎に残っている若者は「マイルドヤンキー」や「頭の悪い人」といったイメージを聞きます。違うんですなーこれが。僕が引っ越した場所にそういった人たちはひとりもいません。70歳以上の高齢者が人口の中心を占める地域で、若者は数えるほどしかいませんが、一人たりとも「マイルドヤンキー」に会っていません。

じゃあどういう人がいるのか?

「一度都会に出た出戻り組の人たち」です。彼らに共通するのは、都会でいいところに就職して若くして高給をもらっていたが、精神を病んで田舎に戻ってきたところです。

そのうちの一人は50歳を過ぎたあたりで、(田舎では十分若者だ)理数学、法律の分野が得意で法律関係の仕事をしていたそう。非常に難解な本を読み漁り凡人には理解できない数式を今でも問いたりしている。法律の話をすると、流暢に知識のない者には理解できないことを延々と話す。

もう一人は、40代くらいで、IT関係の仕事をしていた優秀なプログラマーだった。彼の得意だった分野は知らないが、昔から頭は相当よかったそう。スマホとラップトップを一日中当たり、何かいじっているみたいだ。僕のような低能には何をしているのかさっぱりわからない。

2人とも昔と違いお金に苦労しているが、頭はめちゃくちゃいい。お金持ち=優秀ではないことははっきりしています。自分が知らないだけで、田舎には頭脳明晰な人たちがゴロゴロいる。有名大学を卒業しながらも精神を病み、田舎で埋もれている彼らの状況を周囲は「もったいない」と言います。「もったいない」の中には、優秀な人間は社会に役立つ必要がある。田舎でフラフラしているのはもったいないということが含まれています。本人たちが目に見えないプレッシャーを感じているのかは定かではありませんが、余計なお世話ですね。どんな人であれ、自分にあった居場所で生活してハッピーになることが大事であって、社会に貢献するとか成功するとかどうでもいいことです。しかし、都会でズタズタになった彼らをなんだかんだで受け入れているここの田舎は包容力があるなと。生活のことから色々面倒をみている姿をみると、社会に出て傷ついた人たちを受け入れる土壌が田舎にまだ残っていることがわかります。

日本企業は優秀な人材を使えないといわますが、本当にそのとおりですね。人材を潰すのには長けているが、伸ばすのにはまったくといっていいほどクソ。人手不足なのは生産年齢が減少しているからでなく、人を使うのが下手すぎるからですよ。

「特定の分野を学ぶことが好きで好きでたまらないが、お金がなく困窮している」状況を解消するために、ユニバーサルベーシック・インカムが必要になるのではないのでしょうか。昔から、勉強ができる=お金持ち、ではなく、現代はその流れがさらに進んでいることを踏まえると、生活保護ではないシステムをつくることは、社会・個人、両方から理にかなっているというのが僕の意見です。少額でも定期収入があると精神が安定するのは100%なので個人だけでなく全体の利益にもつながるよ。

 

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