百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

食事紹介できない、生活のなかでの喜び

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<安くてうまい店が少ない>

田舎の弱点は安価でおいしい店になかなか出会えないことですね。おいしくないといっても、まずくはないし普通に食べれるクオリティはどの店でもある。他の国だったら十分人気店になれるが、日本は安くてうまい店があふれているので求められるレベルが高くなる。個人的には安い店に接客サービスは一切求めていないのでおいしければ不満はないのだが、一般的には味と接客双方が求められるので外食産業は慢性的な人手不足になるんだろう。

海沿いに街があるから寿司はうまい。カウンターの寿司屋だとランチ8貫〜10貫食べれて1000円くらいでやっている。スシローもあるから寿司には困らない。家から30分以上も離れた場所にあるから全然いかないけど人が来たときにはちょうどいい。ウチに遊びに来た際は寿司食べに行きましょう。それか家でBBQですね。(そっちのほうがいいか)

<非日常より日常>

「ハレ」は村落共同体のおめでたい日を意味する。昔は家族単位の農業が生活の基本だった。農業は身体を酷使し、単調な日々が続く。日々労働に追われ余暇はない。毎日百姓仕事だと不満がたまる。そのため、日常を維持するためにムラ単位の小さな共同体、支配者層、双方にとってガス抜きが必要となる。ハレの日のために数年、数ヶ月前から総動員で準備をし、当日は盛大に祭りが行われ、男も女も子どもも老人も朝から晩まで騒ぎ・遊びカタルシスを得る。

今は昔と違い、日常を大事にしないといけないのではないだろうか?日常を我慢して非日常で肉体と精神を開放するようなパラダイムは新しい時代の変化に耐えうることができない。例えば男性で年長者だから無条件に敬えというのは、若者や女性には受け入れられない。昔は我慢するしかなかったし、我慢すればメリットがあったから敬っていただけであり、日々を耐えることに価値はない。

生活のなかにこそ喜びがある。朝日を浴びて気持ちいい、朝ごはんが想像以上においしい、掃除をして部屋がきれいになる、散歩して日々の変化、四季の変化を感じる、すれ違った人と世間話する、ブログがうまく書ける、将棋で勝つ、野菜をつくる、ごはんをごちそうになる、好きな人と話すと小さなことで満足できる。イノベーションを起こして世の中を変えるのはすごいことで、多くの人に注目されて気持ちいいだろう。そういう生き方もアリだけど、僕のように生活のなかに喜びを見出して生きるのもアリだ。「イノベーションと生活」は違うようにみえて日々を大事にする点において本質は同じじゃないだろうか。もっと小さなことでハッピーになれる価値を大事にする。

ー朝起きたら何の花かわからないけど、マルハナバチが蜜を吸っていた。いいですねー

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