百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

空っぽになっている

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社会が衰退しようが、社会が変わろうが、日本がどうなろうが、他人が何を言おうが、そんなことはどうでもよく4年間農業に打ち込んできた。

 

24時間365日120%自分のすべてを捧げ生活の中心にあった。嫌なこと、疲れること、がっかりすること、うまくいかないことがほとんどだった。その中にほんの少しだけ、ものすごい言葉には表せないような充実感を得ることがあった。

朝早く起きて畑に行き、時間に追われながら作業をしてあっという間に日が暮れる。畑には誰もいない、風の音と土の匂い、そして夕日。じんわりと生きている感覚がそこにはあった。SEXの快楽と比べ物にならない。

昔から、生きるか死ぬかみたいな極端な決断をして生きてきて、ダメならすぐに新しいことにのりかえてきた。

今はふつうの「日常」があって、ご飯にも困らないしおいしいものも食べられているし寝るところにも困っていない。何不自由なく生活ができているから問題はどこにもない。

そして、新しいことをしてみようと思って旅したり新しい拠点もったりしてやってみている。そのことはうまくいったりいかなかったりでぼちぼちやれているが、なんというか気持ちが空っぽなんだよ。

物足りない。巨大な情熱をぶつけるところがない。

あまりにも淡々と時間が流れ気持ちと現実のギャップが激しい。

金や名誉、他者からの承認で動くタイプじゃないので、自分でぶつける先をみつけるしかない。(ブログに書くことは承認のあらわれかもしれないけど)

解決はしなくてもみつけるために自分の考えを聞いてもらったり、一人で考えたり、場所を移動したりして動いている。動かないと何もみつからないから。

定常運転ではあっても、ポカンと心が空っぽになっている。

まとまりがありませんが、そんな感じです。

Sky