百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

個性的なファッションは田舎だけでなく都会でも意味をなさない

私はファッションに無頓着だ。夏は、半袖、半パン、サンダル。冬はジーパンと暖パンをローテションで履き、ジャンバーは1着しか持っていない。(ユニクロかフリマで100円とかでしか買わない)毎日同じ服装だ。だからというか、「これは~のブランドで・・・」みたいな話にはついていけないし、興味がない。私みたいな人は増えている感じがする。

田舎で都会的なオシャレな服を着ても、ファッションに理解を示す人が少ないから浮いてしまう。都会ではどうだろうか?洗練されているなとは思うけど、個性がある服装をしている人はあまりいない。「かわいい」といわれる女性たちの外見はみな同じにみえる。「個性をだすと集団の中で浮いてしまうから」というより、もうファッションで新しい物を生み出すことができなくなっているのだろう。

20世紀の大量生産大量消費社会は、壊れたら新しく買う消費スタイルだった。消費は善とされてきた。そのなかでファッションは「化粧する」消費の象徴であった。しかし、21世紀に入り旧来の資本主義はあちこちで制度疲労を起こし、無尽蔵に消費することは善ではなくなってきている。

ファッションは、無尽蔵な消費を善とする前提がないと新しいスタイルはうまれてこない。

田舎がファッションを必要としない理由は、大量消費する必要がないからだ。畑を耕すのにブランドの服は適さない。シンプルで機能的な服が最適だ。田舎で都会的な洗練されたファッションをつくるデザイナーがいることを想像してみたら、イメージできる。

私の同世代(20代)のなかにはファッションに興味をもたない層が一定数いる。ファッション、特にブランドには物語と幻想が必要だ。「消費をする動機づけ」ともいえる。物語と幻想は現実が安定し、多くの人が豊かさを実感できる状況で機能する。今の現実はどうだろう。ファッションの物語・幻想より現実のほうがリアルで、不安定だ。現実が想像を凌駕しているときに、幻想的な物語は陳腐にしかみえない。セレブが一枚数百万円する服を大量に所有している光景がメディアで流れても、我々には一生手の届かない世界で、彼らと交わることは永久にないとすぐに理解できる。

ユニクロが儲かっているのは、リアルな現実とマッチしているからだろう。

先進国から新しいファッションはもう生まれない。