百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

個人的なこと

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自分だけのために生きること・命を生きることができなくなっている。子を持つ親は子を自分より大切にして育てる。僕もその時期に来たのだろうか。世間体や年齢ではない。自分のために時間を費やし、常に「自分」のために生きてきた。消費もした。

なぜ生きるのか?自分だけのために生きている段階ではぼやっとした景色さえみえてこない。自分以外の何か、子供、コミュニティ、環境、地球などに自らの命をつなげることで景色が広がっていく。血は関係ない。シンプルに原始的に思考し実践する。

外から内への変化。閉鎖性とは違う。太古からあった地球環境は現代人のDNAにも強く響く。畦道や森を散歩し、食べ物をつくると身体の変化に気づき、自分のやったことが直接結果となってあらわれる。嘘はつけない。ときには自分にはどうしようもないことに遭遇する。いや、自分にはどうしようもないことのほうが多い。水の流れるまま、風の吹くまま、生きていれば諦めることを学ぶ。しかし、自分以外の命がハッキリと生きていること様をみると、生きている喜びに包まれる。

人はいつでもどんなときでも成長する。良い成長と悪い成長が何かは分からないし興味もない。自分の孤独と向き合い、「自分」には所詮価値がなく、自分は命の連鎖で円環しているのだから次の輪に入る命をつなげることが若きと老いの中間。

新たな段階でまた生きるのみ。