百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

古い車と想像力

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Bidimensional SPEED

日本全国どこに行っても車がきれいだ。田舎でもベンツをみかけることがあるし30年前の車を今でも運転する人はほとんどいない。

南米に行くと首都でもボロボロの車があって普通に使われている。戦後の記録映像でしかみたことがないような車があったときはすごく驚いた。経済力は庶民の生活をみればわかる。マクロ経済の数値をみるより確かだ。

youtubeで旅行者がその国の動画をアップしているが、あれをみてわかったつもりになるのは危険だ。「面白そうだから行ってみよう」ならいい。動画は視聴者にわかりやすく面白く伝える手段でクリエイターのバイアスが必ずある。(悪いことではない)すべてを自分の目でみることはできないが、興味のある分野なら躊躇せず行って体験することが大事だ。

しかしどこに行ってもオンボロ車が走っていない社会は、世界中で日本や限られた先進国だけだろう。韓国は地方に行くと旧車が普通に走っているし、台湾の地方は車よりバイクの数が圧倒的に多い。

都市と田舎の格差を均衡させた高度経済成長と政治的バラマキはすごかったんだろう。団塊の世代より上の人たちが過去の成功体験にとらわれるのもわかる気がする。極貧で一気に経済成長して田舎でも電話、テレビ、冷蔵庫が普及して都市と変わらない物が手に入ると嬉しいし、「昔は良かった」になるのはうなずける。

彼らに、今の若者や中高年の現状を理解してもらうのはなかなか難しい。自分が老人だったらよほど感性豊かで見識があり想像力豊かじゃないと、どんどん若年層が貧乏になっているのがわからないだろう。

個人がばらばらになり自分以外の層とコミュニケーションを図ることが希薄になっているなかで、他者への共感だったり想像するのはなかなか難しい。想像力をどうやって養うか。若いときにお金のことを考えず他者から学び自分のことを考える環境に飛び込むことが大事。

無償で若者を受け入れてくれる場所があるし、旅に行くのもいいだろう。

僕は両方とも経験した。前者は、共同生活をして、毎日色々な若者がやってきて知らない世界で生きている人たちとコミュニケーションすることで学ぶことができた。何のスキルもみにつかないし有形の何が手に入るわけでないが、生きていくうえで大切なことを学ぶことができた。

旅では、文化、言語、食事、環境がすべて異なる場所に行くと、少数派になる。言葉が伝わらないならなおさら。旅に行くまでは居心地のよい場所で社会的に恵まれたポジションにいたが、旅先での知らない人たちからの善意のありがたさが身にしみた。現状では多数派にいても誰でも何かの拍子で少数派になる。マイノリティになるとマジョリティの人たちが過ごしやすいように社会設計がされていることがわかる。不便だし生活するだけでいっぱいいっぱい。

どちらも想像力を鍛えるにはもってこいだ。年を取ってでもできるだろうが、若いときのほうが動けるし頭が柔軟だから今やるほうがいい。

お金を稼ぐのはあとでいくらでもできるが、想像力はあとからでは間に合わない。