百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

迷いと決断について

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はてなの「【特別お題】迷い、決断したことは?」をみて、自分の迷い、決断について書くことにした。僕はお題にエントリーしなかったけど、20万円がもらえるそうなので興味がある人は投稿してみたらどうでしょうか。

超人、非凡な人に迷いがあるのかどうか知らない。凡人はいつになっても決断するときに迷う。「これでいいのかな、こうなったらアレはだめになるな、もしだめになったらどうしよう」決断を下す前に起こってほしくないことを考えて迷う。決断を下したあとも「これでよかったのかな」とグジグジする。

そう、僕は決断を下すときも後も憂鬱になりウジウジしている。適切な表現かどうかわからないけど”女々しい”。あとで「こうしておけばよかったなあ」と後悔することがある。

朝ごはんにお味噌汁をつくるか、つくらないか。つくったとしてもお豆腐は入れるか、入れようとしたのに冷蔵庫のなかにはなくて、昨日スーパーに行ったとき買っておけばよかったなあ。日常の些細な一コマでも後悔しちゃうことがある。

後悔しない生き方はかっこいいとされているけど、前にいったり、後ろを振り返ったり、立ち止まったり、脇道にそれたりするのも含めて人生だと思っている。どの過程でも迷い、決断を迫られるわけだから。自分は決断をしたくなくても外から否が応でもやってくる。歳を重ねれば重ねるほど。

大きなことでいえば田舎に帰って便利屋をするときに決断を迫られた。高齢者しかいなくて人口減少している場所で便利屋ができるかどうかわからなかったし、どうやって依頼を受注するかノウハウもなかった。雇われて働いてみたもののどの仕事も続かなかった自分に小さいとはいえ事業ができる能力があるのかどうかもわからなかった。どうしようか迷いに迷ったけど、そのときに出会った人が自分の身の丈でも雇われず事業ができる生き方をしていて、これなら自分でもできそうだと思ってやることにした。

経験上、ひとりでどうしようか悩んでも深い霧の中に迷いこんでしまう。決断をするときに大事なのは自分が悩んでいることを適切な言葉で解釈してくれる人だ。モヤモヤしてどうしていいかわからない状態のときに、悩みを言語化すると霧が晴れる。周りに適切な人がいなくても本やインターネットに頼るのもアリだ。20歳のとき漠然とした不安に苛まれているときは本が救ってくれ、日々の生活、炊き込みご飯のつくりかただったり、ちょっとした決断はネットが教えてくれる。

そして、決断したあとスパッと行動、もしくはウダウダ後悔したとしても、明日には明日の風が吹くからなんとかなると思って生きている。

step-up or step-down