百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

置き去りにされた人々

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「置き去りにされる人々」は村上龍のエッセイ、『すべての男は消耗品である』に掲載され、2007年に幻冬舎から出版されている。

置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。〈Vol.7〉 (幻冬舎文庫)

置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。〈Vol.7〉 (幻冬舎文庫)

 

「富の再配分ができなくなった権力は滅びる」「今、元気がいいのはバカだけだ」と刺激的な項目が並ぶなか、最後に「置き去りにされる人びと」について書かれている。

村上龍の地元でおこった佐世保銃乱射事件をベースに社会から排除された人たちについて言及していて、今後も増えつづけて社会不安は増大するだろうという内容だった気がする。

07年の段階では「置き去りにされる」だったのが12年経った今では「置き去りにされた」になってしまった。原因は経済的格差、中高年男性の孤立…要員は様々あるが、置き去りにされてしまった人たちの「テロ」はますます増えていくだろう。

『ファクトフルネス』で僕らの社会は昔に比べて良くなっていることがファクトで示され理性で理解したとしても、置き去りにされた人々には届くことはない。「テロ」行為をなくすには具体的な方法論が必要。つまり、ある程度「みんなに必要とされる」仕事に従事し、家族も持ち、子育てをするといった自分の生活が充実しているようにすることだ。イスラム社会では元テロリストを市民社会の一員として更生させるために聖職者が仕事、家族、子どもをもてるようにしていると『中東の絶望、そのリアル』に書かれている。聖職者が、子育てをすれば余計なことをかんがえることがなくなると言っていたのが印象的。

戦場記者が、現地に暮らした20年――中東の絶望、そのリアル

戦場記者が、現地に暮らした20年――中東の絶望、そのリアル

 

「テロ」を実際に行動にうつすような連中は自分の人生が最悪だからテロ行為を実行するわけであり、極端な過激思想に傾倒するのも明確な思想があるわけではなく自身の生活の問題が原因であるといっていい。

我々はイスラム社会のように社会から孤立した人たちを包摂できるだろうか?自己責任の名の下切り捨てていては「テロ」はなくならない。福祉に反対する人たちにはこのままいけば治安が悪化し安全な社会を維持するコストが増大するだけだといいたい。大きくみれば、治安維持のために警備人員を増強し、法整備を行い、重火器を増やしそれらを維持するコストは高くつくし、個人レベルで対処しなくちゃいけなくなると負担は大きい。社会不安が小さいうちに福祉で包摂したほうがシステムとノウハウはあるわけだから安くすむし、福祉サービスを享受した人が納税し社会に貢献できるようになる。

★★

今回のような「テロ」がおこると感情的になりメディアの報道も過激になる。大げさにヒステリックにならず淡々と事実のみを伝えたほうがいいのではないだろうか。予備軍を刺激して第二の悲惨な「テロ」を誘発しかねない。

今回のことはとても複雑で悲しい。

亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。