自分と違う人への想像力
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格差が露骨に表れる時代になりました。格差は経済的格差だけではなく、文化、情報、年齢、世代、嗜好、階層とあらゆるところで見受けられます。一般的に格差は「悪いこと」だとされていますが、本当でしょうか?格差という言葉に「多様性を伴った格差」とすれば違った視点で「格差」を捉えることができます。
LGBT(性的マイノリティー)の話題を耳にするようになりました。昔からLGBTはいました。例えば、織田信長は10代前半の美しかった?蘭丸と肉体関係にあったそうですし、男と男同士が性的に結びつくことは古今東西、特殊なことではありません。日本でLGBTが公に話題にできるようになったのは、みんなが一緒ではなくなってきたからでしょう。そもそも、みんなが一緒なはずはないのですが、高度経済成長からバブル崩壊まで全員に等しく経済成長の恩恵があり、一億総中流という幻想があったことが原因だと思われます。ここにきてようやく社会が成熟してきたので、マイノリティーたちが我々の前に表れることができるようになったのです。
多様性を伴った格差を真正面から受け止めることは簡単ではありません。なぜなら、自分とは違う他者がいることを受け止める必要があるからです。あなたと違う考え方、生き方を受け入れるには想像力が不可欠です。私はLGBTではないので、彼らの楽しみや苦しみは分かりません。しかし、彼らを排除し否定するつもりはまったくありません。聖人君子ではなく、私が逆の立場に置かれたときに排除され否定されるのは嫌だからです。「自分がされて嫌なことは相手にもしない」のは他者への想像力なしにはできません。
(想像力が欠如している好例が政治です。発言、政策がどのような影響を与えるかをイメージできない政治家が多いです。)
格差の広がりは今の正しいとされるものを見つめなおすチャンス。マイノリティーだけではなく、マジョリティー、メインストリームも同様です。想像力を鍛えるには色々な方法があるでしょう。私は、田舎で生まれ田舎に戻ることを決断したので、若いうちに都市に出ることをお奨めします。田舎だと同じメンバーで固定され、多様な価値観が世の中に存在することを肌で理解することはなかなかできませんし、ネットの情報でおなかが満足していたとしたら、頭でっかちになっているだけです。自分の目でみて経験することとは全く違いますよ。
また、都市と田舎の両方を経験することにより、自分の判断でどちらで生きていくのかを決断することができます。誰かに強制されるわけではないので、どちらの選択をしてもコンプレックスはありません。「田舎は何もないからつまらない」みたいなことは言わないですね。
※今日の畑。コマツナの芽が少しでてきました。今朝も霜がびっしりとおりているので成長は遅いでしょうが、まずは芽がでてくれたことに安堵。