百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

仕事の価値を変える

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chaos #1

大企業のCEO、弁護士、医師は社会的地位が高い仕事され高収入を得ている。高い知識と技術が必要とされ誰でもできる仕事でないからだ。一方、肉体労働やサラリーマンなど労働者の賃金は低下しているのは承知のとおりだ。政府の統計を閲覧しなくても生活レベルで実感がある。社会的地位が高い仕事と低い仕事の賃金格差は広がっていく一方だ。格差を解消するために最低賃金と人件費を引き上げれば労働分配率は上向くだろうか。ある程度は効果があるだろうが、多くの人たちが許与できる格差にまで縮まることはないだろう。

特定の層に限らず、あらゆる層が既存の仕事がAIに代替されるのではないかという懸念を抱いている。AIをイジれるポジションにいる連中はシンギュラリティといったことを信じて邁進しているが、多くの人にとっての心配は自分の仕事を奪われることだ。雇用を守るために機械化をやめるといったことは不可能であり、既存の仕事は減っていく。高付加価値のモノを生み出せる能力があるとAIの恩恵を受け収入は増えていく。現に起業家や独創的なアイディアを実行に移せる力がある人にはお金が集まっている。彼らは自分の持つ能力を最大限有効活用するためにテクノロジーを使っている、使える力を持っている。AIがあってもどうやって使えばいいのかわからないと宝の持ち腐れになるだけだ。特定の高い能力を持つ人物に金が集まり、代替できる仕事はAIが行うようになると賃金が上がることはないだろう。1日10時間働いたからといってAIのほうが効率的なら誰しもAIを選ぶ。介護、看護師、教師といった職業は重要な役割を果たしているが決して賃金は高くない。母親や父親は子どもを育てる重要な仕事をしているのにGDPには換算されない。陶芸家などアーティストも同じだ。

AIに苦手なのはこれらの仕事だろう。AIができない仕事の生産性をどう高めるか?では解決策にはならないのではないだろうか。人を介助し育てるのは金にはならない。茶碗1個つくるのを2個つくったからといって価値が上がるわけではない。必要なのは仕事の価値を見直すことだ。母親や父親は仕事とは思われてないけど価値がある。教師も陶芸家も賃金は低いけど簡単に代替できるような仕事ではない。賃金は低いとされ価値もそれほど高くないとされる仕事へ価値をどう見出すか。しかも賃金を上げるのではなくその仕事のそのものに価値を見出し変えていくか。特定の学問に天才的に詳しいからといってお金持ちではない。無一文でも優れた「学術者」はいる。(学問の世界ではなく田舎にも)生活するための金はユニバーサルベーシックインカムで賄うことにも視野に入ってくる。大きな変動に対応していくためには全く異なる発想とシステムが必要だ。

民主主義は変化に時間がかかる。多様な意見を取り入れる必要があるため。個人レベルでは規制など無視して新しい動きが次々と起こっている。最先端の分野から大きな波を起こすことは出来る人たちに任せ、こちらは下からさざ波程度にしかならなくてもやっていく。10年・20年後、ニートや引きこもりはさざ波の最先端になっていく。