百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

田舎に文化的資本はない

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田舎は自然が豊かでのんびりとしているのは半分本当で半分ウソ。金をかけてやるなら外注してのんびりできるが、多くの人はそうはいかない。別荘暮らしと田舎で生活することは天と地ほど違う。

どこの田舎も害獣の被害に悩まされている。昼間から鹿が道路にでてくることもあるし、テンやイタチ、アライグマは毎日畑を闊歩している。野菜をつくっても何からしらの対策をしなければ、動物たちに餌を与えるだけで終わってしまう。

郊外の田舎だとどうだろうか。小泉政権時代の規制緩和のとき、大店立地法が施行され大型ショッピングセンターが全国各地で次々とできたので郊外の景色はどこも同じになっている。イオンなどのショッピングモール、ラーメン屋、車屋、全国チェーン店は郊外の定番となった。

田舎の景色は均一化され差別化する要素はない。B級グルメやご当地キャラは一過性のものでしかない。

都会はどうだろう。先日東京に行って東京のほうが昔ながらの景観や商店街が残っていることに気づいた。大都会東京は無味乾燥とした空間が広がっているのは違う。各駅ごとにそれぞれ特色がある町並みが広がっていて、住んでいる人たちの雰囲気も違う。東京に一極集中するのは地方に仕事がないからというのは間違っている。地方には山のように仕事があって若者がいないからだいたいどこの業界も人手不足に悩んでいる。若者たちが上京するのは文化的資本があるからだ。音楽をする土壌があり、絵を書く土壌があり、自分のやりたいことをやる文化の基礎がある。

都市を維持・発展するために何を残して何を変えるべきかをしっかりと考えることができる人材が東京にはいる。地方・田舎にも町並みや文化を残すことの大切さを理解している人はいるが、絶対数が少ない。田中角栄の「日本列島改造論」ときと同じパラダイムで考えている人がほとんどだ。

自民党総裁選で石破茂は経済構造を変えるため地方創生が重要なことを述べているが、経済成長で失われた地方の原風景をどのように「取り戻すか」の国民的合意がないと雇用ができても人は集まらない。

田舎に住む一般的な高齢者は「田舎にはなにもない」「何もない田舎でどうやって生活するの?都市のほうが楽でしょ」と言う。残念なことに彼らから文化は生まれない。田舎が荒廃したのは文化を失ったからだ。田舎は何もないのがいいし、不便なのが田舎のいいところ。都市のようにすぐになんでも買えて便利なのは不要だ。田畑を潰してイオンを建てても100年後には廃墟と化したコンクリートしか残っていない。そんな場所に住みたい人は誰もいない。幸いなことにネットの発達により限界集落にいてもアマゾンでなんでも買えてしまう。わざわざショッピングモールを建てる意味はない。

僕は、限界集落で生活しているので、クリエイティブに生活して文化をつくりたい。イベントではなく生活にこそ文化がある。(クリエイティブ言いたかった!)

20130815 Yotsuya 9