百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

将来への展望はない

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HERE WE GO – once again, into the future.

将来への夢とかそういうのないです。いまの毎日が続けばそれでいい。毎日を淡々と過ごすことのほうが難しい。だからあっちこっちでイベントが開催されるわけ。暇を潰すほうが難しくて、何かしていないと退屈するわけです。

何もしないで自分の好きな人や好きなことをして過ごす。理想的な生き方で、僕はすでに達成しています。これ以上生活に求めるものは何もない。家もあるし、食べることに困ることはない、服も貰い物で十分、野菜もつくれる、生活に必要なものは全部揃っている。高級時計やブランド品は暇を満たすためだけにあるんだろうな。

現状に不満だったり将来が不安なのってなんだろうか?世界を見渡せば貧困に喘ぐ貧困層は何十億人といる。貧困は絶対的な悪だし人類が解決しないといけない問題だ。極貧な生活をしている人が生活に不満や不安を理解できる。

日本は格差が広がり年収200万円以下の層は1000万人を越えているが、飢餓で死ぬ人はほとんどいない。明日食べるものない赤ん坊にミルクを飲ますことができないような人も限りなくゼロに近い。

絶対的貧困と相対的貧困は質が違うので比べることはできないのはわかっている。質がぜんぜん違う。しかし、日本で生活しているほとんどの人は飢えに困っていないのは事実。月5万もあれば生活できる。

「子どもを良い大学に行かせたい」「年収1000万ほしい」「あの人より上に行きたい」とかどうでもいいようなことを達成がしたいために不安になって生きづらい人が多いのではないかな。世の中に氾濫する情報も不安を煽るようなものばっかだし。そっちのほうが売れるからだろう。

将来への展望はないが一つだけ展望というか成長したいことがある。人間として大きくなりたいこと。知らないことが多いし、器は小さいし、わからないことがわかるようになりたい。山にこもっていてもできると思っているし、多数派に属していないからたっぷり時間はある。自分の内側に「投資」することができる。

いまの生活を続けつつ、自らの志を貫いて人間的成長をしていく。