百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

世界で最も豊かな国にいるからあくせくしなくていい

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不適切な期間統計が次々と発覚し政府が発表する統計の信用度が低下しているとはいえ、日本は世界有数の豊かな国であることは疑いようがない。他の国に行けば最低1000円はするであろうおいしいランチがワンコインで食べられ、凶悪犯罪は少なく治安がいい、女性が夜1人で歩いても問題なく、各種インフラは整備され清潔、社会保障も整備され餓死することはほとんどない、クリーンで安全な水を安く飲むことができる、財布を忘れても中身を抜き取られず返却される…と他国では多額のお金を払って得ることができる「安心・安全」を全国民が享受することができている。国内しか知らないならわからないだろうが、安心・安全を当たり前のようにみんなが得れるのは奇跡だ。外国人に日本の説明をするなら「安心・安全をタダ同然でみんなが享受できていること」と答える。間違いなくびっくりするだろう。

僕らは豊かな国にいるはずなのに不安がはびこっている。不安がない人はいないんじゃないかと思うくらい蔓延している。不安がなくても不安を煽ってくる。「何歳までにいくらないと生活できない」「正社員にならないと結婚できない」「そんな生き方が続くわけない」…。考えるまでもなくこれらの不安は嘘なんだけども、ある種の層にとっては空気のように存在している。

貧しかったころを働いて働いて苦役に耐え働いて豊かさを手に入れた高齢者のなかには、自分たちのように働くことを求める人たちがいる。戦争を経験し貧しさをサバイバルしてきた彼らの言葉は重いし、戦争は極限なまでの異常な経験だから人間としてタフになるから説得力はある。だが、戦争と貧困を知らない僕らに同じような生き方を求めるのは無理だ。生まれたときから豊富に食料があり、外的に怯えなくてもいい環境で育っておりサバイバルとは無縁。戦争・絶対的貧困時代のことを説いても頭では理解できても体ではわからない。

はじめから豊かさを享受して生まれてきた僕らは生き方を選べる。24時間働きに働いてリッチになるのもいい、グローバルな競争に身を投じて生きるのもいい。逆に競争をせず身の丈にあった人生を過ごすのもいい、自分が好きなことだけするのもいい、社会活動するのもいい、地域を大事にして生きるのもいい、あくせくせず生きることができる。

豊かさとは選べることだ。貧困は選択肢がない。目の前にあることにしがみつき食べるために生きる状態。豊かな国の貧困はお金がなく食べる物がないよりも、社会から孤立して誰にも頼れず何をすればいいかわからないこと。それは解決していかなくちゃならない。

選べる豊かさがあるならシステムや見知らぬ誰かの価値観に惑わされ惰性で生きるのではなく自分が納得する生き方をしよう。多様な価値と情報が溢れる社会では自分の物差しで生きることが非常に大切だと思っている。生きるために馬車馬のように働かなくていい生き方も幸運なことにできる。

先人たちが築いてきた豊かさを享受をしないなんてもったいない。僕は50歳までじっくり生きる予定だ。いや、寿命は伸びているからもっと先になっても不思議じゃない。将来のことを俯瞰するのはその程度でいい。身の丈にあった人生で十分だ。

Expectations