百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

田舎の閉塞感

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人間気が合う合わないがある。何かのきっかけで合わなくなることもあるし、合わなかったのに何かのきっかけで合うことがある。何もないのに合わないときもある。合うときはいいが、合わなくなったとき傷つき悩む。

Uターンで田舎で生活するようになり、昔の知人に会い、私が何をしているのかよくわからないから怪訝な顔をされることがある。毎日顔を合わせるわけでもないし、親しいわけでもないので気にしていないつもりだった。しかし、会う人、会う人に自分のことを否定されるとやっぱり凹む。

少ない人からは肯定され応援されているからありがたいが、否定される人とも真摯に謙虚に向き合う必要があるのかと思う。小さな世界で生活していて、世の中には色々な考え、生き方があるということを経験したことがない人が多数だから、いちいち頭にきても生産的ではない。理解してもらわなくていいから、自分の感情と上手く向き合えるようになりたい。

明文化されないルール・阿吽の呼吸は、阿吽が分からない人、嫌いな人にとっては閉塞感がある。ここで生まれた若者は高校を卒業すると違う場所に行き、生活している。人それぞれ理由があるし、何をしようが自由だが、ここに残る人はなぜ若者がここから離れるのかを真剣に考え、学ぶ必要がある。若者がおらず、高齢者しかいないのは理由があるのだ。

土地にはこだわっていないが、ここでしばらく生きると決めた以上、田舎の閉塞感と向き合っていく。最後は自分の考え次第だと思うので、人間的に成長したい。そのためには、多様な考えを学ぶことが大切だ。私のことを否定する人のことも多様性に含まれる。謙虚に学ぶ。