百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

過去にも慮らず未来にも慮らず、まったく現在的であることが重要である

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先が見えないから不安になるのではなく、今が不安だから不安になる。未来が不確定なのは過去も今も同じだが、昔より未来の予測が難しい。米をつくるとき時期と天候が大事になる。3月に耕し、4月・5月に種を蒔き、6月に梅雨になり、7・8月に稲が生育し、9月・10月に刈り取る。いつ季節が変わり、いつ天候が変わるのかが予測できるから米つくりはできる。自然災害があったとはいえ、農耕が主な産業の時代は牧歌的な時代といえよう。

産業革命以後の経済発展はのどかな時代を終わらせたが、我々は19世紀の王様より圧倒的な豊かさを手に入れた。とくに、第二次世界大戦以後の急速な経済成長は革命的といっていい。世界は昔より豊かだ。貧しいより豊かなほうがどう考えてもいい。経済成長は失うものも多くあるが、貧困は肉体と精神を蝕み人生を破壊する。貧しさはそれ自体が悪だ。

情報は次から次へと入ってくる。人間の脳の容量は農耕時代から変わっておらず、欲求も変わっていないので情報処理能力は限界がある。何が正しくて何が間違っているのか分かりにくくなっている。情報過多になりすぎて、自分をコントロールできなくなると病む。病むことは間違っていない。体と心が休息を欲しているのだ。引きこもりは健全な証拠だ。自分とちゃんと向き合っているから引きこもれる。逆に、心身の声を無視して動くと悪化し、最悪の場合死に至る。

1998年以来年間3万人を超えていた自殺者は2012年に3万人を下回った。自殺者が減ったことは喜ばしいことだが、それでも年間約2万7000人もの人が自ら命を絶っている。豊かさの代償は「病」と「自殺」という形で表れている。必要なのは情報ではなく、自分の限界を知り、ゆっくり休め、学べる場所だ。人生50年の時代から100年の時代になりつつあるのに、一生動き続けるのことは理にかなっていない。その時々で休み、学び、動くほうが長い人生を楽しく生きられると思う。

頼っていいし、頼られたら受け入れればいい。頼られる余裕がある人がもっと頼りたい人を受け入れるようになればいい。頼りたい人は多いけど、どうやって頼ればいいか知らない。換言すると「甘え方を知らない」。ある人が「依存の根本は相手を喜ばすこと」と言っているが、相手を喜ばすには、自分には何ができて何ができないのかを知ることが大事だと思う。肩もみが得意なら肩もみができるし、笑わせることが得意なら笑わせればいい。難しいことではなく培ってきた何かを実践すればいい。素直に何か助けてほしいことを伝えると、案外受け入れてくれる。

甘えて、甘えることを受け入れてくれたらうれしいし、自分も甘える人を受け入れようという気持ちになる。不安と上手に向き合えるようになったら、過去の出来事と客観的に向き合えるようになる。過去を悔やんでも悔やんでいることも自分をつくる一つの要素だったと思えば、過去も今に繋がってくる。同様に未来がどうなるか不安でも今を生きることが未来に繋がると認識できれば、未来も今に繋がってくる。そして、今自分の意志でやるべきことをすることが未来に繋がっていく。

 

☆タイトルの、過去にも慮らず…は、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』の最初のページに、ヤスパースが寄せている。正確には記憶していないので間違っていたら教えてください。