生き方について講話した
スポンサーリンク
縁あって生き方を講話する機会があった。少人数の小さな会だったとはいえとても充実した時間を過ごすことができた。自分の生き方を話すのは照れくさかった。開かれたのは2月10日。2月10日は「ニートの日」だったんだね。偶然だったにせよ自分はニートという生き方と結びついておりますな。
箇条書きすると
・学生時代の話
・学生を卒業してからの話
・引きこもり時代の話
・農業に至るまでの経緯
・親との関係
・今どういう生活をしているのか
・収入や労働について
これらについて縦横無尽に話した。僕が一方的に話すのではなく司会者と対談形式で話して質問があればその都度応えるスタイルだったので話しやすかった。
自分の話だから自分のことはどうでもいいんだけど、質問者たちの質問や意見、悩んでいることを聞けたのがとても楽しかった。年齢も性別も様々で、会社勤めを30年以上してきたけどいつも組織に生きづらさを感じて、窓から眺める青空をみて自由になりたいと思っていたという話を聞いたりした。
同調圧力はどの社会にもあるけど、日本で組織に属するのは組織が絶対視され個人は滅私奉公するというプレッシャーが強い。その中で働くのはすごいストレスかかる。組織に属さないと生きていけないという信仰が弱くなったとはいえ今でもあるから属する人も属さない人もキツイ。いろんな生き方を尊重して受け入れる。これにつきると思う。簡単なようで難しいところもある。
会社で働く人もフリーの人も、ニートの人も、引きこもりの人も自分らしく生きるために模索しているんだなと思った。僕もそうだ。
ニートと引きこもりについていえば、両方共その状態を脱して働かないといけないというのは古いし解決しない。百万人単位でニートと引きこもりがいるわけだからもはや生き方そのもの。肩書にニート、もしくは引きこもりと堂々と書ける。もしニート状態で何か病気を抱えているなら時間をかけて治療する必要はあるけど、健康でニートならニートでいいんじゃないかな。引きこもりも同じ。健康なニートもいるし引きこもりもいる。会社に行って働く人のなかにも健康な人もいれば病気を抱えて働いている人がいるのと同じだ。ニートの日に来ていた方々は細かいところの差はあれども、概ね同じような考えを共有していた。一人ひとりが自分の生きたいように生きて自分には理解できないような生き方も受け入れていく。これだけ豊かなんだからできる。確実に広がっている。