百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

引きこもれる間は引きこもろう

スポンサーリンク

Burnt out

 

<引きこもっている間は光と影が同居する>

初期の引きこもりが高齢化して親の年金で暮らす、50・80問題や、不登校やいじめを契機に引きこもる子ども、受験や新生活につまずき引きこもる若者、リストラされ引きこもる中高年、引きこもる理由は様々だ。引きこもり期間も、長期間引きこもることもあれば短期間引きこもるケースもあるし、一度引きこもる状態が終わったけどまたもとに戻ることもある。一般的認識だと引きこもりはマスで捉えると思うが、実際は多種多様だ。

僕も1年間引きこもっていた時期があって、以前そのことを書いた。

 

www.guvivva.com

引きこもり当事者とは数えるほどしか話したことないのでわからないが、引きこもった期間に関係なく、その後の人生に大きな影響を与えることになる。長期間の引きこもると「普通の社会」で生きるのは困難なわけだが、1年間の引きこもりでも社会に適応するのはとても難しい。

勝山実さんは引きこもった経験を引きこもった理由、引きこもっている最中、自身の考えを詳細に書かれている。(文才あるからクスッと笑いながら読めます)僕は理由、最中のことはほとんど覚えていないから勝山さんの生きる力に感心。

引きこもった経験は引きこもる子どもを持つ親や当事者には貴重だから、当時の記憶を思い出そう思い出そうとしてもほとんど思い返せない。本当に辛かったから生きていくために消し去ったのだと思っている。もう10年前の話だけど、当時のことを文章にしようとすると少し心がざわつく。5年前と比べると公の場で話せるし笑って話すことはできても、まだ完全には整理がついていないみたい。

堂々と引きこもれるだけ引きこもろう

振り返れば、あのとき引きこもれるだけ引きこもったお陰で、社会という怪物とある程度距離を置きながら生きることができている。引きこもるのをやめて社会に飛び出したときのことは覚えている。

もう何かしたくてしょうがなくて、環境をすべて変えたかった。すべてだ。どうやったら環境を変えられるかわからなかったから調べ、海外に行って旅をする選択肢があることを知った。そして、外国に行き一人でバックパッカーをすることを決めた。

自分のことを誰も知らず言葉も文化も食事も全て違う環境に行くことで、生きる選択肢は山のようにあることを身をもって体験することができた。帰国して悩むことがあっても、多様性を知ったお陰で切り抜けることができた。

もし引きこもっていなかったら外国に行くことはなかったし、自分と異なる価値を持つ連中と話すことに充実感があることを知ることはなかった。

引きこもることはポジティブ、ネガティブの両方ある。親しい人を苦しめてしまうのは申し訳なく思う一方、自分の身を守りゆっくりと考えることができる。

引きこもりは自己防衛本能の一種だから、親しい人が引きこもっても受け入れてほしい。「どうしたら引きこもりから脱出できるのだろう」「この子の将来はどうなるの」と不安な気持ちになるのはわかります。それでも何も言わず淡々と受け入れてもらいたい。親しい人が受け入れることで本人はとても楽になるし、引きこもる期間も短くなると思います。

当事者は、親などに申し訳なくなったりする気持ちはわかりますし、行き場のない気持ちをどう表現したらいいのかわからなくても、自分が納得するまで遠慮せず引きこもってはどうでしょうか。引きこもることは恥ずかしいことじゃない。1年、5年、10年、もっと引きこもったとしても問題ないじゃないですか。

いつか終わりはくるし、引きこもったまま死んだとしても仕方ない。余裕があれば、ブログ書いたり、YouTubeに動画アップしたりして自分の引きこもっている状態を表現してみるのもありじゃないでしょうか。

引きこもりを解決するのは簡単じゃないです。一度引きこもれば引きこもりは解決しないと考えています。うつ病と同じで「寛解」。一生付き合っていくもの。

何回も声を大にして言いたいのは、引きこもれる間は引きこもり続けようです。

 

安心ひきこもりライフ

安心ひきこもりライフ