百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

やりたくないことはしない

スポンサーリンク

いつ死ぬかわからない

31歳にもなると何人かの死と接する。ずっと会ってなかった同級生が突然亡くなったときは驚いた。本人は至って健康体で病気らしい病気もしていなかったのに突然この世を去った。人間はいつか死ぬが、どこも悪くない若者が亡くなるといつ死んでもおかしくないなと痛感させられる。

死を意識すると自分の人生について考える。いつか死ぬ、だから自分のやりたいように生きないと後悔する。後悔する暇もなく死ぬかもしれない。そのときはそのときとはいえ、嫌なことはなるべくしたくない。

やりたいことしかしないよりやりたくないことをしたくない。やりたいことはなくてもやりたくないことはわかる。

やりたいことをやるためにやりたくないことをやるのならやるが、何も先がないのにやりたくないことはやりたくない。

死を前にしたらあらゆることが小さくなる。

自ら死を選んだ友人もいるわけだけど、彼がもし死なずに生きていたらどうなっていただろうなと想像する。自殺するときが人生最悪な状況とするなら楽しく生きれていたんじゃないかな。いつか死ぬわけだから、良いときも悪いときもいつかおわる。終わるなら最期まで生きてなるべく楽しい時間が多い方がいい。

嫌だと思ったら付き合わない

複雑な世の中だから人間関係で消耗し病気になる人が多い。うつ病などの精神疾患は世界的に問題となっている。

僕自身10年前うつ的になり、1年間引きこもった経験がある。うつ病は前と同じ状態に完治することはなく、寛解といって病気をうまくコントロールする状態になるそうだ。

引きこもる以前はそこまで他人とうまく付き合えなかったことはなかったが、以後はコミュニケーションが円滑に回らないことが増えた。

そのことで悩んだ時期もあったが、「そういう性質だから悩んでもしょうがない」と割り切れるようになってからは、コミュニケーション能力を向上させることはせず、回らないことが前提で会話するようになった。

コミュニケーション能力は向上してないから人間関係は円滑にすすまないことは変わらないが、自分と合わないなと感じたら会話するのをやめて付き合うのをやめるようになった。

お陰で消耗することがほとんどなくなったので、そこそこの人間関係を保っている。

まあ、死を前にしたらあらゆることはどうでもよくなるので、「この宇宙からみたら自分が生きようが死のうが何も変わらない」と空をみながら思うようにしている。何も変わらないなら思いっきり何でもしてやろうというモチベーションが湧く。

Death Valley