百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

時代が変化しても百姓は続けられる

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野菜市況は記録的に低下している。ほぼすべての野菜で価格が低迷している。しかも数週間ではなく2ヶ月、3ヶ月単位で。市況だから市場の変化に応じて再び上昇するがここまでの安値が続いているのはほとんどないそうだ。

主要野菜のトマトに関しては2年前から「構造的価格低迷期」に突入した。05年からの韓国からの輸出緩和、各種自由貿易協定が原因。ガクッと値段が下がったときトマト専業で生計をたてていたときありえない安値がついたから鮮明に覚えている。長年トマトで食ってきた農家もこんなことは初めてだと言っていた。そのときからじゃないがいずれトマトの価格が低下するのは予想していた。問題はいつかだった。専業農家は市場の変化、社会の変化に応じてつくる品目を変えてきていたから驚くことじゃない。イチゴがトマトになりまた変わるだけのこと。次が何の野菜になるかわかっている。

昔と違うのはグローバル化と超少子高齢化・人口減少が進んでいること。自由貿易は止めることはできない。もっと外国の安い野菜が輸入されてくるだろう。価格低下は避けられない。人がいないから国内需要は増えない。核家族から単身世帯が増加しているので白菜1個じゃなくて4分の1以下でしか売れない。外食も安いから家で食事をする人も増えない。

社会が大きく変化しているのでこれまでのような野菜をつくって市場、農協に出荷して食っていける時代は近いうちに終わる。両方ともいずれなくなるのは容易に想像できる。

じゃあ農家はなくなるのか?大規模農家しか食べていけないのか?

はっきりとNO。

農業は農耕以降戦乱が起ころうが大災害が起ころうが生き抜いてきた。野菜だけをつくるだけじゃなく、お米、草刈り、内職、発酵食品、家の修繕・・・なんでもやって農を続けてきた。まさにこれぞ百姓。百姓になればどうにでもなる。

80歳になっても百姓をしてトマトをやっているおじいさんが「トマト農家になるな」と言っていた。彼の真意はトマトしかつくれないと何かあったら食べていけなくなる。トマト以外のこともやれるようにしておけば価格が低迷しようが食べていけるということだった。

百姓の時代がやってきている。構造的変化が楽しみでならない。「百姓日記」の時代がやってきたよ。