百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

田舎に骨を埋めたらダメ

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僕はもともと田舎育ちだから、なんとなく田舎の目に見えない慣習は理解できる。都会育ちで田舎に転居したい(移住とは使いたくない。国内の場所に移動するのになぜ移住なのか理解できない。例外は沖縄だけだ)人は増えている。

どうやったら成功するかどうかハウツーはないが、田舎の地域社会に深くコミットするのはやめるべきだ。基本的に田舎の人は一度も外に出たことがなく、同じ場所で暮らしている人で地域コミュニティが成立している。彼らは、生まれたときから年をとるまで同じメンツで生活しているから、外からみたらわからない阿吽の呼吸がある。ここまでは話すけど、それ以上は話さないとかあるし、コミュニケーションの仕方が独特だ。

例えばあなたが褒められたしよう。普通なら素直に額面のまま受け取っていいが、田舎の高齢者たちは逆の意味で言っていることが多々ある。直接言うとコミュニティが維持できないからあえて遠回しに言う。冷泉彰彦が日本語は関係性の文脈の中から何を言いたいかを読み取る言語と言っていたが、田舎はその傾向が非常に強い。僕でも理解できないことが多いので都会育ちの人が田舎に来たら理解するのに10年はかかると思う。

特に農業をしたいなら戸惑うことばかりなのは間違いない。一般的なコミュニケーションが通用しないから。農業者は何を言っているかわからない人がほとんどだし、話したいときに、突然来て2時間くらい延々と独演上になったり、相手が農道の端に座っていていてこちらが行くと話があったりと謎すぎることばっかり。21世紀ではなく江戸時代か室町時代のパラダイムで時間が動いているからね・・・。


だから、田舎に住むならコミュニティと一歩距離を置いて生活する必要があると思う。家を賃貸・購入したとしても「俺はいつでもどこかに行けるぞ」と頭の片隅においておいたほうがいい。都会と違って金を払えば快適に住めるわけではない。幸いなことに、転居者は増えているから、地元民と転居舎のコミュニティを上手に使うことができる環境にある。地元民は地域のことには詳しい、転居者はある程度オープンに話すことができるから、利用しよう。

田舎は、10年後、20年後は文明開化をすっ飛ばして21世紀に一気にいくから、今のうちに種を蒔くと面白くなるよ。

 

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

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