百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

いつか死ぬ、死ぬまでに人生を謳歌する

スポンサーリンク


f:id:guvivva:20180830081651j:image

普段死をそこまで意識することはない。まだ死ぬような年齢じゃないし、やりたいことをやりきってないから死ねない。

31歳にもなると何人かの死を経験する。80を越えた高齢者が死ぬことには抵抗はない。順番だし、「今までありがとう」の気持ちになる。

若い死を経験するとそうはいかない。闘病生活が続いて天国に行ってしまうならまだ理解できる。突然死は驚く。本当に死んだのか?と疑ってしまう。長年会っていないなら尚更だ。

その子は頭が良かった。田舎のなかだけで頭がいいではなくて秀才。勉強しなくても何でも理解してしまう天才だ。田舎の学校のレベルでは合うところがないから都会に行って、日本の最高学府に入学した。卒業後は何をしていたか知らなかったが、どうやら弁護士になっていたらしい。

俺と全く違う人生を歩んでいた。

何で死んだかは知らない。自殺ではないことはわかっている。心筋梗塞や突然の心停止なのだろう。

ずっと会ってないし親しくもなかったから死んだ実感がない。「あー死んだのか」くらい。

家族は無念だろう。自分よりも早く死ぬのは本当に悲しい。ずっと悲しさを引きずるかもしれない。現実は厳しい。

俺みたいなボンクラでも天才でも死ぬんだ。いつ死ぬかわからないから生きている時間を大切にしなさいと言われるけど確かにそうだ。いつ死ぬかなんて誰にもわからない。このブログを書いているときに死んでしまうかもしれない。

亡くなった子の分まで生きるとか高尚なことは言えない。ただ、生きている間は嫌なことをせず自分の信念に従い生きる気持ちは強くなった。

人生は不確定で予測不能だ。それが楽しい反面、死は突如としてやってくるかもしれない。

俺は人生を謳歌する。なあそうだろ?