百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

日本で普通に生きても先がみえている

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The Decline

日本を主語にしたくないけど、確実に衰退している国に生きているので話題にせざるを得ない。経済が衰退すると社会も衰退する。ヨーロッパはリッチな地域だけど、長い歴史で俯瞰すると経済的ピークは過ぎている。経済が没落しても文化があるから人が吸いよせられる。文化が成熟した理由は豊かな期間が長かったからだろう。日本もあと20年バブル崩壊するのが遅かったら文化が成熟してそこそこのところで落ち着いていたかもしれない。局地的には文化が花開いているが全体としては衰退している。

システムはとっくの昔に終わっている

バブル崩壊したあとに先人たちは気づくべきだった。高度経済成長で成功したシステムは古くなり新しいシステムに変えなければいけないと。

ひょっとして気づいていたかもしれないが変えることができず、時代が進むにつれどんどん新しいルールとの乖離が進んでいる。無理やり古いシステムを維持しているから無駄なお金を無駄な場所やモノにつぎ込み、新しいやり方をやろうとする連中を潰す。それが現代日本だ。

古い人たちにとっては慣れ親しんだやり方のほうが楽でハウツーがわかるから居心地がいいのかもしれない。そのツケは若い人たちに押し付けているわけだけど。世代間格差を煽ったり老人が既得権益者だと言っているのではない。若い人たちは終わったシステムのなかでなんとか希望をみつけ、あと80年も生きなくちゃいけないんだ。

「若さは財産」確かにそのとおりだ。体力があるからどこへでも行けるし、頭も柔軟だから知識を蓄えることができる。無知だから挑戦することができるし、若いからかわいがってもらえることもできる。老人よりも動ける範囲は広くて可能性も広がっている。

しかし、絶望的な状況で生まれ育つと「若さは損」に変わってしまう。若いから何もできない、若いから働けない、若いからお金がない、若いから結婚できない子どももてない、将来への希望がもてない・・・。こういう若者は山のようにいる。

昔の人に聞くと貧しかったが将来への希望はあったみたいですね。でも貧しかったから今のほうが豊かだから楽しいという。若い人にとっては食料が豊富で情報を瞬時につかむことができるのは当たり前だけど、将来への希望があるのは理解できない。

天才は一人握りしかいないから社会の99・9%は凡人で成り立っている。天才は社会がどうなろうが天変地異がこようが誰が何を言っても、自分の道を進むことができる。凡人は誘惑や他者の声に負けてしまう。環境によって大きく左右される。環境が変わることでしか新しい自分をみつけることができない。

「衣食住に困らないけど希望がない」環境にいると、おじいちゃんおばあちゃんたちからみると理解できない人が量産される。

希望を探し続けてきた

希望がないというのはどういうことか?先がみえるということ。このまま何もなく年をとり死んでいく。だったら生きていても仕方ない。こんな感じ。先がみえてもすごく不安にもなる。何が不安か言語化できない。漠然とした不安。

僕は、物心ついてから希望を探し続けてきた気がする。だから、海外・国内でバックパッカーをして、色々な仕事をやってみて、引きこもり、本を読み、人に出会ってきた。支離滅裂な行動の背景には全体の希望ではなく自分の希望を探していたから。

日本の田舎で無職をしているのは普通に生きても先がみえているからだ。「普通に生きる」と希望もなく古いシステムで苦しみ、病み、そして死ぬ。そんなのは絶対に嫌だ。一度しかない人生を腐ったシステムの中で生きるのは絶対にしたくない。普通から逸脱して苦しんだとしてもその苦しみは甘んじて受け入れる。

僕より若い子たちはもっと苦しんでいる感じがする。自分たちが小さいときより日本の環境は悪化して、子どもたちに時間と労力をかけられる余裕がある大人は減っている。

15歳の子どもはどうやって希望をつかみ楽しんで生きていくか?と聞かれても答えられない。15歳の子どもで希望がある子もいるしどうしようもない子もいる。15歳というマスで語ったところで個人には届かない。

やらないといけないのは個人、もしくは層で語ること。

「学校は嫌いで辞めたいけど何をしていいかわからなくて力を持て余していた」昔の僕のような個人・層と明確な目標をもって生きている子どもじゃ全然違う。

普通に生きるレールはとっくの昔に降りたが、なんとか生きている。生きているから自分の生き方は間違っていなかった。これからも謙虚さを忘れず普通ではない道をいくつもりだ。