百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

文句をいっているうちが華

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田舎にいると老人に対して不満を持つことが多くなる。高齢化で長生きしているし人数は多い、若い人がいないんで子どもはいないから更に彼らの力が強くなっている。

腹を立てた時は「近いうちにみんないなくなるからそれまで放置しておけばいい」と思っているんだけど、虫の居所が悪いのが続くことがある。

どうにか腹が立つ気持ちをコントロールできないのかと思っていたところに、河合隼雄の名作『こころの処方箋』を読んで発見があった。色々項目に分かれて書かれていてそのうちの一章に「文句をいっているうちが華である」というのがある。

会社員があたらしい課に異動になった。そこにいた課長が悪い人で不正を働いており部下もある程度抱え込んでいる。課長はその会社員を自分の懐に取り込もうとするが、会社員はやる気充分なのでそんなことには乗らない。むしろ、課長への批判を強めるが、課長は対抗して自分の抱えこんでいる部下を使いいじめにかかってくるという状況だったそう。

会社員はどうにもこうにもならなくなって社内カウンセラーに相談した。今と違い専門職カウンセラーではなく退職した世話好きの人がなっていたので、そのことを会社の幹部に「誰から聞いたかは言えませんが、++課長が不正をはたらいている」と通報したのだった。

その後、その課長は左遷され本人は大喜びして万事解決と思いきや・・・3ヶ月後ひどい抑うつ症になり入院しなくてはならくなった。

河合隼雄は上記のことにこのように書いている。

人間は何のかのと文句を言っているうちが華であることが多いのだ。やる気十分の課員が不正な課長と戦い、さりとて密告は嫌だし、あいつさえいなかったら・・・などど言っているのこそ生き甲斐があるというものだ。自分の力ではなく、まったく他の力でぶつかる相手を急に取り去されたりしてしまったら、たまったものではない。端的に言うならば、素人カウンセラーが彼の生き甲斐を奪ったようなものである。

これほど極端でないにしても、いろいろ文句をいうことによって、人間はうまく安定を保っていることが多いのではなかろうか。私も忙しくて本が読めないなどとよく言っているが、もし暇になっても、決して今より多く本をよむことなどないのではなかろうか。しかも、それだと「忙しいから」という免罪符がなくなって困るので、不機嫌になるかすぐに何か「忙しく」なる種を探し出してくるのではなかろうか。

 なるほどなと思いますね。自分も老人に対して文句を言っていることで生き甲斐をみつけているのかなと。既得権益を持つおじいちゃんたちに立ち向かう俺かっこいい!」ですよ。おじいちゃんたちがいなくなったら戦う相手がいなくなるから、病んでしまうかも。

人生は壮大な暇つぶしという言葉があるけど、暇をつぶすために文句を言っているのかも。文句を言う相手がいなくなったらさびしくなる。孤立して失うものがなくなり無差別に他人を殺して暴走する事件がたまにあるけど、彼らも戦う相手がいれば暴走しないだろうな。比較してもなんの意味もないけど、怒る対象や文句を言う対象がいるほうが健全な証拠なのかも。

常に文句を言うのは問題だけど、文句を言うのは悪いことではないということかな。河合隼雄、ぜひ読んでみてください。スッと心に入ってきますよ。

 

こころの処方箋 (新潮文庫)

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