定植の最終段階と一つの段階を終えた
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秋冬野菜もあと少し
この前の台風は夜中に猛烈な風が吹いたものの被害はなくほっとした。定植した野菜たちも定植してまだ1週間程度だったので無事にやり過ごすことができた。
白菜、ターサイの植え付けはほぼ終わり、最後の大根も巻き終えた。残っている苗はレタスと抑えの白菜だけだ。9月も残り少しなので一安心。
昨年海沿いの街に拠点を持ち、ホオズキのバイトや日本と海外を放浪して野菜つくりはお遊び程度にしかつくっていなかった。今年は春先からまた農に従事し「勘」を取り戻すまで時間かかったけど、夏になるに連れエンジンが入り色々ありながらもなんとかここまでくることができた。
やはり7月から9月の3ヶ月はどうしても気が抜けなくて嫌でも農作業しないといけなくなる。こればっかりは仕方ないとはいえ、うまく仕事量を調節しないとキツイな。自分が少し無理ができる塩梅でやめないとストレス溜まって体によくない。来年はどうなるかわからないが、今年の反省を活かしてうまく農作業の量を調節したい。
まあとにかく9月が無事終わりそうなのでホッとしております。
次はどこへ?
僕は学生のころ、ハンナ・アーレント、ヴィクトール・E・フランクル、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、カント、ショーペンハウエル、レヴィ・ストロース、柄谷行人…といった哲学者や思想家といった方々の本を読み漁っていた。
当時は、インテリぶって、書いてあることがわからなくても図書館に篭ってひたすら読んでいた。もちろん自分のようなアホに理解できるわけはなかった。身の丈を遥かに越えたことをしていた。今となっては読んだことは全然覚えていない。当然だ。読み方も書いている内容も理解できていないわけだから。
でも、ひとつだけ覚えている言葉がある。
”過去にも慮らず未来にも慮らずまったく現在的であることが重要である”
「全体主義の起源」のまえがきにヤスパースが書いていた一節。
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なぜ覚えているのかまったくわからない。これだけは10年以上経っても忘れていない。
今の僕にとってこの一節が何を意味するのか?多分意味はないし考えても意味がない。大事なのは昔と比べて、妄想でも誇張でもない地に足の着いた生活ができていることが重要なのだと思う。
たまに理屈をこね回して妄想することはあるけど、随分と自省してコントロールできようになってきた。自分と他者、世の中との距離感もまだまだとはいえ昔によりマシになった。
小さな島国の小さな小さな田舎で小さな農業を軸に淡々と生活するのがいつまで続くのかわからない。僕のような者がこの田舎で生活できているのは周りに住む人たちのおかげだ。自分の力じゃ何一つない。彼らがいなくなったとき違う段階に向かうのだろうか。
そのときどこへむかうのか。結果はどうであれ妄想も誇張もせず地に足の着いたことをしていきたい。