百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

キャンプはしたくない。

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百姓は1年が生活の基本にあり、5年、10年のスパンで物事をとらえる。一喜一憂する性格だったが、農を基盤に置いたことにより長期的な視野になった。ネットの使い方も自然と変わった。ネットは現実に大きな影響を与えていることは事実、しかし、ただの道具にすぎない。現実に自分がどう考えどう動くかがすべてであり、ネットは動機づけにすぎない。SNSで議論をしてもまともな議論にはならない。ただのガス抜きで終わる。

肉体を使って日々生きているとキャンプはしたくならない。お金を払って外で寝るならお金を払ってホテルに泊まる。毎日外にいるのに娯楽でキャンプをするなんかありえない。都市住民に限らず田舎でもブルーカラーは減っているのでキャンプの需要はある。椅子に座って価値ある仕事をする労働者はどれくらいいるだろうか?9割の人は都市で生活する意味はないと思う。朝から晩まで体を使った何かをしたほうがいい。精神を病む人が増えているの要因で都市化は否定できない。多くの人にとって、山に入って木を伐採したり、畑で野菜をつくったり、海で魚を採ったりするほうがむいている。キャンプブームは体を動かすことを現代人が行っていないことの裏返しだ。

今日は朝から昼までなすの片づけをした。なすを固定する支柱、紐、マルチ、ペグ、防草シートを片付けるとくたくたになる。一気にするのはしんどいので2回にわけてした。なす本体は「木」になるので抜去するのが大変。体全体を使わないと抜けない。すべての動作で自分の体を使う。誰も代わりはいない。過程は楽しさはない。ただただきつい。やらないと次の野菜が植えられないからやるだけ。意味はない。意味がないからいい。疲れた体でやりたいことはキャンプではなく温泉につかりたい。