百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

俺の人生は始まったばかり

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自我の芽生え

江戸・明治時代の人と比べて現代人は成長が遅い。武士の元服は15歳と早かった。平均寿命が50歳前後であったため大人になるスピードが早かったため。現代の15歳で大人になれと言うのはちょっと無理がある。

80歳、いやそれ以上生きるかもしれない時代だから成長速度が遅くなるのは自然なことだろう。僕が15歳のころより今の子どもたちのほうが子どもである期間は長くなっている。

多分江戸時代の15歳は10歳くらいで自我が芽生えていたと思う。「自分が何者で何をすべきか」個人よりも組織や家が重要視されていたとはいえ、その中で己の自我の形成をしていたはず。

個人の自由が尊重され、平均寿命が伸びた現代人の自我の芽生えは20歳、いや25歳くらいになっている感覚がある。僕がそうだったから。思春期にアイデンティティの形成はやっていただろうが、昔の人のように自覚した自我は大人にならなくていいから求められてない。

僕の自我が芽生えたのは自我を形成しているときに成熟した大人に出会ったときだった。2人で会話をして自分の考えを言っているときに「あなたは今自我が芽生えている」と教えてくれた。最初は何のことかわからなかったが、話していく過程で自分が進むべき方向性がわかってきた。

感性豊かな60歳の人が若者をみたら、頭脳明晰な子が多いが幼いと感じるそうだ。ネットですぐに情報を入手でき学校や会社以外の広いネットワークを持っているけど、普段の行動や言動が幼い。アンバランスなのは自我が芽生えずに大人と同じようなことができてしまうため。「希望の国のエクソダス」の中学生たちが典型的な例。

ただ、子どもたちの自我の発達が遅いのは良し悪しの問題ではない。僕らがはやく大人になるのを求めていないだけだ。問題のなのは、自我が芽生えているときに適切な大人と出会えるかということ。これは難しい。金儲けしか考えてない人ばかりなので、人生で重要なことを教えられる大人が少ない。

自我の形成で悩んでいるときに、「金、金、金儲け」と子どもに説いても心に響かないし、響いたとしてもまともな自我は育たないだろう。

メディアに登場する大人で自我を育ててくれるのは、不登校の子どもを支援するNPOを運営している今井紀明さんかな。

自我が芽生えて人生が始まる

20年、いや30年もかかって自我が形成され、ようやくスタートライン切れて1歩を踏み出したところだ。それまであっちこっちに手をだしていたのは自我が芽生えてなかったからだろう。

自我の芽生えを意識できるようになってからは思考と行動が変わった。自分の人生を歩めるようになった。

そして、毎日ワクワクする人生より良いときも悪いときも真ん中にいる精神を維持していきたい。まだ全然できていないが、意識することで少しずつできてくるはずだ。

前へ進むときもあれば、後ろへ戻るときもある、凡人はひたすら前へ突き進むことはできない。結果は出ずとも焦らず過程を大事にする。わからないことばかりで、学ぶことばかりだ。

昔はイケイケガンガンだったけど、社会の多数派に飲み込まれ小さくまとまるのは絶対に嫌だ。自我が芽生えようやくスタートラインが切れたのに落ち着いたりするわけない。

もっと自分の人生を突き進んでいく。

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