百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

オリンピックも万博もどうでもいい

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Yoyogi National Gymnasium, Tokyo, 1964 Olympic Games.

大阪万博開催が決まった。2年後のオリンピックのあとに開かれるので「国家的イベント」が続くわけだ。オリンピックと万博に興味のある人はどれくらいいるのだろう?また、喜ばしいと思う人もどれくらいいるのだろうか?

政治家の方々や大手既成メディアはまるで国民全員が喜ぶべきイベントのように言っているが、ほとんどの国民にとって関係ないことだ。各種インフラに投資してたとして国民全員にリターンが返ってくることはない。むしろ無駄な税金を使って浪費するだけなので害でしかない。

オリンピックも万博も決まったときに、喜んだのはおじさんとおじいちゃんたち。2つのイベントが開かれるとみんながハッピーになるかのような喜びようだった。あの方々は無駄なインフラをつくり無駄な税金を使っても責任をとることはない。物理的にこの世からいなくなる。

いい年して、未来への責任を放棄し一過性のイベントで盛り上がり子孫へツケを回すのはすごいなあと思う。社会中枢にいて決定権を有しているからなおさらだ。

21世紀になっても、20世紀と同じことをすればバラ色の未来が待ってる行動パターンから抜け出せないのは高度経済成長期の成功体験からだろう。彼らにとって目に見えて豊かになった経験はあまりに強烈だったのだろうか。

若いときに強烈な成功体験をすると現実への認識が誤ることは誰にでも起こりうることなので、オジサンたちが間違ったことを言っても否定するつもりはない。問題なのは社会が大きく変化したことに気づかない連中に決定権があることだ。本来なら隠居して盆栽でもいじっていればいいのだが、後進に道を譲ることはしない。

30年間変わることを恐れ収縮することを選んできた結果がでてきている。少子高齢化になると新しいことに挑戦することや変化を拒み強固で時代錯誤な安定を望むことがわかった。今後の人類にとっては良い実験結果となっている。

僕らにとっては社会に何も望めないから個人で切り開いていかなくちゃいけない。専制王政な時代じゃないからやっていけるけどね。