百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

金<軸

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日本の法制度は農地の所有者に絶大な権限を与えている。農業は跡継ぎがやることを前提としており小作人に貸すこと・新規就農者が参入することは想定されていない。現実は全然違っているのに法が古いままなので非農家にツケが回ってくる。地主には1ミリも影響がない。

田舎に来て農業をすればわかるが、農地には1円の価値もない。大げさではなく農地はタダ同然。耕作放棄地が減ることはなく作物をつくれる技術があれば借りることは難しいことではない。農地を借りてちゃんとつくれることがわかれば、半年もせずに他の地主から「ここもやってくれないか」と言われる。本来は農地を借りるときは地主と小作契約(21世紀になっても小作人という言葉は有効だ)した書類を行政に提出しないといけないのだが、現実は「闇小作」が一般的。闇小作といっても書類を提出しているかどうかっていう話だけだから大した問題ではない。放棄された農地を管理することが大事なわけだから、地主も行政も農業委員会(形骸化された組織)も放置している。

法律が前近代のままでも農業は想像を超えるスピードで衰退しているためどうにでもなる。規模拡大しようと思えばできる。施設栽培をして稼ぐことも簡単ではないけど難しくはない。ノウハウ、技術はあるし何をすれば稼げるかもわかっているがやらない。自慢ではなく3年もすれば億単位稼ぐことはできる。

なぜやらないのか?はっきりいって、規模拡大して補助金をもらって施設を拡大し、農薬と化成肥料を使い単品出荷するほうが楽だ。ただそれをやってしまうと金に魂を売ることになり自分にとって最も大事な軸を失ってしまう。軸を失えば大事な人たちとの交流もなくなる。新しく出会う連中は金、金、金、利益だけを追求し人間的にクズしかいないのは目に見えている。

「大規模化もしてないお前がわかるわけないだろ?」と農業に詳しい人から言われそうだが、自分の目でそういう連中をみてきたから断言できる。最初は崇高な目的をもってやっていた人でも渦の中に入ると腐った連中と同じようになってしまう。人は環境に大きく左右される。周りに流されず自分を持ち続けるのは難しい。

社会的に評価されるのは嬉しい。「成功者」になってすごいですねと言われたら僕だって嬉しいが、それより大事なことがある。金を稼ぐことが目的ならそれも一つの生き方だろう。人のことはよくわからない。自分は金に魂を売る生き方を推奨されても興味がない。そりゃ資産があって悠々自適なほうがいい。豪邸に住んでメイドを雇い、プライベートジェットで移動すれば楽しいだろう。(よくわからんが)

「お金とみんなを主語にせず自分の人生を生きる」を習ってよかった。僕のやっていることが生きている間に評価されなくてもいいから続けていく。(もち評価されたらいいけどね!)

Weltenbaum