我慢してもいいことはない
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我慢することはある種美徳とされている。僕は昔から我慢することが大嫌いだった。中学高校と入・卒業式で登壇した校長や来賓がくだらない話を長々と喋っているのを聞くのが耐えられなかった。姿勢を正して発言者に体を向けることを強要することが苦痛で苦痛で仕方なかった。中学の頃は反抗する知恵がなかったので我慢に我慢を重ねて聞くふりをしていたが、高校になってからは適当にサボった。他の同級生たちが黙って「偉い人」たちの話を聞いていられることが理解できなかった。
10代のころから我慢することができなかったので、大人になってから我慢ができるわけがない。だから誰にも我慢を命令されず生きていくとなると就職して働くことはできない。
なぜ日本社会は我慢することを強要するのか。
我慢するメリットは、今我慢することで後に何らかの利益があるときだけだ。今一生懸命働いたら将来大きなお金が手に入る、嫌な奴でも従えば見返りがあるといったこと。それなら我慢するのは理解できる。(嫌なことなら我慢しないか)
日本で繰り広げられているのは、将来大きな利益がないのに我慢をしないといけない我慢大会だ。サービス残業、長時間労働、休日出勤、低賃金労働、過労死、セクハラ、パワハラ、満員電車…言い出したらキリがないくらいある。自分には何の利益もないサービス残業を我慢してやることは経営者にしか利益はないし美徳ではないのに蔓延している。
我慢をする人は同じ我慢を他人に求める。求められた人はまた同じことを違う人に求める。みえない鎖でつながれた状態になってしまう。
みんなで我慢した結果、過去20年間主要国で唯一時給が9%も低下した。
劣悪な環境で働いているのに次がないからと辞めない。経営者は賃金を上げると会社が存続できないといって労働者に我慢させる。消費しようにも休みもなく働いているか時間がなく、お金がないから我慢するしかない。悪循環でしかない。構造的問題がわかっているにも関わらず変化を拒み現状維持を継続するから悪化するのは当然だ。
病んだり死んだりするくらい嫌なことを我慢してもいいことは何一つない。我慢は美徳じゃないし我慢していやいやするより、自分の意志でやったほうが伸びる。「俺は我慢するのが大好きなんです!」っていう人は自分で好きなようにやればいいが、他の人に同じ我慢を強要するのはストップしよう。
もうみんなで不幸になる我慢大会はやめましょう。