百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

食っていければそれでいい

スポンサーリンク

僕は、おじいちゃん・おばあちゃん、お父さん・お母さんの代から農業を生業としてきて受け継いだ伝統的農家とは土俵が違いすぎる。機械を所有し販路を持ち人的ネットワークを持ち目に見えない資本まで持つ状態から始められる。何も持たない新規就農者がその領域に一代でいくことは困難を極める。そもそも農業は代々農家の人たちがやる仕事なので比べること自体間違っている。田舎が限界集落化し農業を含む村落共同体が成り立たなくなり耕作放棄地が広がっている状態だから、非農家でも就農できる現実がある。逆に、集落が維持できなくなれば新規就農できなくなるということだ。

僕が、わざわざ過疎の田舎に住んで農業をやっているのは大きく経済的に成功したいとか地域おこしをしたいとか、そういうモチベーションからではない。シンプルに食べていければいいから。野菜をつくる限り食うことには困らない。今は毎日なす、ズッキーニ、じゃがいも、たまねぎなど自分でつくった旬の野菜を食べていてお金は使っていない。自給自足生活をしたいわけじゃなく食っていければそれでいい。

種は外国からほとんど輸入していて機械を使うときガソリンを使っているから、外に依存しているから日本が孤立した場合食っていけなくなるじゃないかと言われそうだけど、まあそのときはそのときでなんとかなるだろうし、そのような枝葉末節を気にしていても意味はない。

地方に移住して、農業や林業をやっている人たちの中に「商業的に成功したい」という人には会ったことがありません。そもそも「成功」というようなことにあまりインセンティブを感じない人たちが移住している。……これまで地方移住というと定型的なイメージがあったでしょう。「ロハス」的な。頭にバンダナを巻いて、ダンガリーのシャツを着て、チェックのエプロンをした夫婦が、「畑の小麦でパンを焼いています」とか「畑の苺でジャムを作っています」とか。「それなりにお洒落で、ハイエンドな商品を提供して、ビジネスとして成功しています」みたいな点が強調されていたような気がするんです。僕ひとりの偏見かもしれないけれど。でも、実際、いま起きているのはそういう感じのものじゃない。もっと静かで、もっと穏やかであえて言えば人間の弱さや壊れやすさをベースとした運動のように見えます。それだから持続するんじゃないかと思います。

 

内田樹が『「農業を株式会社化する」という無理』のなかで書いている。これよくわかる。自分がそうだから。ロハスとか興味ないしお洒落な服とかまったく興味ない。生活していければそれでいい。内田氏が言うようにこういう人はもっと増えていくだろう。

農業も田舎暮らしも自分と自分の大切な人たち、気が合う人たちと生活できれば十分。あとは何もいらない。

 

「農業を株式会社化する」という無理 これからの農業論

「農業を株式会社化する」という無理 これからの農業論