百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

農業は企業、資本主義の論理では続かない

スポンサーリンク

土地と資本の大規模化をすすめ、大規模農家は大企業と手を組み利潤を最大化するやり方が一定の層に強く支持されている。政治家、農水省が推し進めていることも関係しているのだろう。

ダイヤモンドは、農協の解体を声高に主張し、数字とスキャンダルを用いて徹底的に攻撃している。中身を読むと農業の世界は変わっていっているし、農協は既得権益層にしかみえず、企業論理の農業は魅力的にみえる。

確かに農協には問題が多い。資材費は下がらない、職員の質が低い、高額な手数料と出荷の手間、農業協同組合でありながら金融に偏った収益と構造的変化が必要なのは間違いない。

しかし農協は、営利企業ではなく資本主義の論理だけで動いていないことに価値がある。農業は利潤だけを追及して成立する産業ではないからだ。

経済性のみだけ追い求める農業は100%続かない。断言していい。

大規模農家が輝く時代はまだ続く。企業が農業に参入して「イノベーション」を起こそうとする流れも同じ。国もそうだ。

20年後くらいに潮目が変わっているだろう。企業の論理と資本主義の経済合理性を続けた結果、破綻する農家が増える。生き残るのは経済性と経済性以外のバランスを取れたところになる。

雇用せずとも農業はやっていけるし、大きな流れに乗らずとも中庸を見失わなければ続けることはできる。

産まれてから都市で育つ人がマジョリティになったときに、有機農業や農薬を使わない農作物は価値を大きく高める。有機野菜の市場占有率が0.25%程度しかない日本でも率は上がる。人工的な空間で産まれ育った人ほど自然との調和を求めることになるからだ。

農家が「無農薬はよくない」「農薬肥料使っても関係ない」ということを主張しても無意味だろう。

利潤は大事だがもっと大きな視野で農の世界をみれると景色は変わる…。まだ、自分には少ししかみえてないので、時間をかけて広げていきたい。

 

cuttings planted