百姓日記

百姓をやるために田舎で生活しています。

何が必要なのか

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青年期といえる年齢ではないのだが何が必要なのかわからなくなるときがある。生活に必要なのは、タオル、洗剤、洗濯機、食器、炊飯器、ストーブ、扇風機、ノート、ペン、パソコン、こたつ、電気、ガス、鍵、ゴミ箱、衣類、靴、車…と上げたらきりがない。これらの一つでも欠けると生活できないかと言われたら生活はできるだろうが不便になる。快適さを求めれば物を更新して近代的な家に住んだほうがいい。新築の家を建てるのは様々な理由があるだろうが、便利な家に住んで生活したいのは多くの人にありそう。

便利と不便、快適と不快、物事は表裏一体。便利さや快適さを追求するのは置かれた環境が不便で不快だから。何が必要なのか?という問いの裏側には何が不要なのか?が含まれる。必要なものがわからないときは不要なものを考えてみる。

◯不要な物

はじめにあげた生活に必要な物は自分の家にある生活物資だ。一からこれらを揃えると結構なお金がかかるが、何も持たない若者と違い蓄積されているのでコストはそれほどかかってない。家電は新品のものもあればリサイクルショップで買ったものもある。人から譲り受けたものもある。すべて新品で統一したい欲求はない。不要な物は現在の生活にはない。不要になるときは生きる環境が変わるときになる。車は都市部に住むなら売り払うし家電製品もシェアハウスに住むなら不要になる。

◯友達

友達は死ぬまで関係が続くことは稀だ。そういう友達に出会ったらラッキー。だいたいの場合は人生の段階で変わっていく。学生の頃の友人で付き合っているのはほとんどいないし、5年前に仲の良かった友達で付き合っているのは数えるほどしかいない。友達が足かせになることはあるのか?自分が友達と違う生活をして興味関心が移ろい話が噛み合わなくなったにもかかわらず関係を続けるようなことになればお互い足かせになる。友達関係を続けるにはお互いが自立していることが大事であり場を共有しないと疎遠になってしまう。ずっと離れていても続けるのは難しい。定期的に会うほうが続くし何か共通の目的があるほど親密になる。友達は必要なのか?と言われたらある段階では必要であり不要になるときもあると答える。今の自分には必要だが何者でもないときは不要なときがあった。今後老成していくにつれ不要になるときはあるのだろうか。おそらくない。自分の考えを明快にしてくれるのは友人であり、助けてくれるのも友人、すべてを捨ててもどっかでつながっているのも。

◯家族

ネパールでは家族はいとこや甥まで含まれるから30人くらい家族がいる。甥に仕事がなければ斡旋し、甥の甥(なんというかわからない)が困っていれば助ける。家族の範囲が広いのはヒューマニズムではなく、助け合ったほうが合理的だから。国が貧しく就職する先は限られ海外へ出稼ぎに行くのが一般的な社会だと1人で自立して行きていくのは困難になる。30人、ときによっては50人の家族を持って助け合ったほうが生きていく可能性は高まる。貧しい国生まれで成功したサッカー選手が多くの家族を養うのはそのため。近代化に成功し豊かさを手にして日本では家族は「お荷物」になっている。個人の自由を重要視し1人で生活する人が増え、血縁を元にした家族は衰退している。衰退している原因は理念や理想ではなく、経済性につきる。豊かになって家族に依存せずとも生きていけるようになったからだ。ネパールも豊かになれば拡大家族は消滅する。家族が不要とするなら頼るべきは誰になるのだろう。強固なシステムだからあると便利だし家族以上の関係を我々は提示できていない。ただ強固だからこそ、結婚したい相手を制限されたり移動するのを阻止されたりと「足かせ」になることが往々にしてある。強固でありながらも足かせ・お荷物になることもある家族もまた二面性を持ち合わせているのだ。

◯地位・名誉・お金

僕の生活から最も遠いのがこの3つになる。人々はこの3つを巡って戦っているようにみえる。地位と名誉、そしてお金が重要であるからこそ、何も持ち合わせていない僕にも影響がでてくる。もし地位や名誉・お金と完全に縁を切りたかったら社会を捨て世捨て人になるほかあるまい。いや世捨て人になることの行為そのものがこれらから発露しているなら結局のとこと同じになる。ただの概念でしかないのに我々を強く惹きよせ魅了し悩ませるのは社会的動物だからであろう。誰かと比べない生き方を口にするのは簡単だが、誰かと比べない人はこの世にいない。完全に俗世を捨て山のなかに篭り他者との関わりを一切断ち切ったとしてもだ。大事なのはこれらとの距離のとりかただと思っている。地位も名誉も必要としていなくても、何かしらの場面で心がざわめくときがある。お金も同じ。心がざわめいたときに否定するのではなく、じっと受け入れてざわめきが通り過ぎるのを待つ。繰り返すとざわめきの程度が軽くなる。軽くなってもなくなることはない。なくならないことを自覚するのが肝要だろう。

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家族、友人、物、地位名誉お金、すべてを捨て旅に出る人たちは時代が変わっても消えない。社会的概念を捨てる人に対して多くの人は批判をする。強烈な批判があるのはそれらが我々にとって根源的な問いだからだろう。普段は意識しないことを惹起させる。普通の人は考えたとしても行動することはないが、一部の「愚か者」は実践する。そのおかげで普段見えないものがみえてくる。現代のように豊かだと余裕が生まれるからより根源的で哲学的なことを考えるようになる。哲学は流行っていくのではないか。一部の哲学オタクやインテリだけではなくより一般的になっていく可能性はある。

すべてを捨て旅に出る心はいつも片隅にある。

 

ぼくはお金を使わずに生きることにした

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